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サントリーニ(2009/04/20-21)

アカデミア通りの大きな書店、Ελευθερουδακης のカフェにいます。 free WIFI に加えて電源があるのが素敵。電源は使って良いものか知らないけど、皆使ってるし、店員が敢えて何か言ったりしないところが日本と違うように思います。 『ギリシアを旅する会話』で勉強中の私達に、隣の客が立ち去りながら暖かい苦笑を贈ってくれました。確かに「メインディッシュにスブラキをお願いします。」をせっせと書き写してるんですから微笑ましい姿でしょう。  クレタ島のイラクリオを朝8時半発の高速船(Flying Cat)でサントリーニに行ってみました。いかにもエーゲ海の島!という所も見たかったから。クレタは大きすぎて島にいる気がしない。サントリーニなら、エーゲ海観光、風光明媚、ロマンティック、という言葉にぴったり、なのだと思って。  期待通り、さすが景観のみに立脚したリゾートだけあって、家並み(白・青・丸屋根)の統一は徹底しているし、メインストリートには生活感まったくないし、これはこれでリラックスできると感じました。驚き最小の法則により。絵葉書のような(というか実際絵葉書にある)光景の連続。名物の夕陽はもちろん悪くなかったし(でも、夕陽の美しさって、場所よりその日の天気次第だと思う。この日は雲が多くていまいち)、夜は、元カルデラ湖の湾越しに対岸の灯りが弧を描いて美しい。  財布の心配をしないことに決めて来るなら良いところかもしれない。ホテルも予約してあれば、港の客引き攻撃にもわずらわされないし。ここの港は絶壁の下にあって、レンタカー店、バス、客引きと数軒のカフェだけからなり、1日数便の船の到着にあわせて活動しているので、客引き純度が最高でした。逃げ場なし。  島の北端イアまで行ってみたら、悪くない安宿を探すのはかなり大変そうだったので、港で2人の自転車旅行者に出会って宿を教えてもらえたのがラッキーでした。ギリシャ中を自転車で回って、サントリーニで終了、これからアテネに帰るという、流暢なギリシャ語と日本語を話す人でした。ありがとう。  それで泊まったLaudaは、それでも一番小さい方の部屋で60ユーロでしたけども、洞窟を利用した造り、観光地らしいカラーリングで悪くなかったです。  私達にとってこの島で一番の思い出はバスになるでしょう。火山が隆起した絶壁のふちギリギリを登るのは景観であ

クレタ(20090417-19)アノーヤ

ずっと晴れ  イラクリオの西南約30km(直線で。ずっと山道だから1時間強かかる)、クレタらしい暮らしを堅持しているという谷間の町アノーヤに4日いました。人口2500人とガイドブックにはありましたが、ちょうど復活祭の時期で里帰りにより人口は3倍くらいになっていたんじゃないでしょうか。  静かで美しい町でした。谷間といっても、ギリシャの山は緩やかな稜線に低い木が散在するだけなので閉塞感はなく、その斜面のままに白い家や教会が寄り集まった形です。ホテルは上町の入り口にあり、少し下ると上町の教会、そのまま道なりに下り折り曲がって行くと、いつのまにか下町の教会に着いてしまう。  ホテル「アリステア」がとても良かった。矍鑠たるマダム・"ボス"・アリステアが切り回す清潔で家庭的なホテルです(そういえば三ツ星だしていた)。広いテラスから朝陽の昇る山並みを一望できます。バスタブ・朝食付きのツインで45ユーロ(ハイシーズンでも50)。私達のほかにはギリシャ人カップルが1組泊まっていたのかな。  この家にも里帰りの人達がたくさん。家族か近所の人かを聞くギリシャ語力は到底ないわけですが、食卓に並んだのは30人、たぶん4世代。私達も端に座らせてもらって、ギリシャ人の会話力に圧倒されてきました。私達はニコニコして全く判らないのを聞いているだけですけどね。あぁギリシャ語勉強しなきゃ。この人達は何をこんなに楽しそうに延々話しているのか知りたい。  朝食付き、ですが、たぶん親戚が集まっていることもあって、何かと「お茶飲みます?」「私達食事するけど来ませんか?」と呼んでもらい、結局ほとんどの食事をいただいてしまいました。復活祭の羊、山羊のミルク粥(名前は"ピラーフィ"、、、レシピを探す参考にはならない)。ありがたいことでした。余所者には食事処を見つけ難い町なのでなおさら。  そう、美しい町ですが居場所はない。カフェニオンなんて怖くて寄れません。本当に、革ジャンかジャケット、ジーンズ、皮ブーツの男性で占められているんですもの。ホテルでくつろぐか、通りを歩き続けるのみ。といっても挨拶すれば9割方返ってくる(残り1割は決然と黙殺)のがアテネとは違うところ。行動規範がまだ力を持っている。  復活祭に向けての聖週間(というんでしたっけ)には、テレビで各地の大きな教会を実況

クレタ(2009/04/15-16)ハニア、南側、フェストス

ずっと晴れ。  前日夜、たまには少し高い食事も、、、と思ってシーフード(基本的に高い)レストランに行ったけど結局フライ尽くし(イカ、小魚、ポテトね)で残念でした。後半苦しみながらも食べきれなかったし。しかし、周りを見ると、ギリシャでは食べきれないのを大量に残すのは全く問題ないようです。後日泊まった宿の人もそう言ってました。さすがに「残すのがマナー」では無いそうです。食後に出てきたラキ、グリコ、ヨーグルトが一番おいしかった。  そういえば、その後、カフェでサッカー中継を見ました。アテネのカフェ(ニオン?)で皆がサッカー観戦に盛り上がる様子が楽しかったからです。しかし、ヨーロッパ・チャンピオンズリーグのミュンヘン対バルセロナ、客は皆ドイツ人、、、と判ったのは席についてから。ギリシャ人にしては静かすぎると思ったんですよね。得点が入っても「ヨシッ」と呟くか目配せくらい。国で人は括れないといっても、やっぱりそれなりに国柄ってあるんだなぁ。  15日、ハニアの市場で朝昼兼ねた食事。魚フライ、野菜フライ、野菜のアーティチョーク煮、ホルタン・スタミナゴーシュ。薦められるままに再び頼みすぎた。そうか、残して構わないから「2人には多いかもしれませんよ」とか言われないのか。でも久し振りの青い野菜が嬉しかった。タベルナではトマト・ポテトばかりですから。”ホルタン・スタミナゴーシュ”名前は焼肉みたいですが、春菊とホウレン草を合わせたようで花の香りがする草。  市場でショッキングなものを、、、私の家にはウサギがいるんですけど、市場にもウサギが、、、丸裸で後ろ足のフサフサな毛だけ残して、「ぴょーん」の姿勢で吊るされてましたよ。おいしそうでしたよ(実際おいしかった。この日の夕食)。  イラクリオのニコス氏に勧められたモニ・プレヴェリに寄りつつ、南側のビーチにも行っておこうとアギア・ガリーニへ。"where package tourism and overdevelopment have spoilt much of its original charm" と言われると(lonely planet)、もっと静かな所に行きたくなるけど、そっちは何も営業していなそうで怖いから。  海の見える部屋に泊まったし、ウサギは柔らかくてコクがあったし、フィルターコーヒーが売り切れ(ってどういう

クレタ(2009/04/11-14)の写真、イラクリオ再び

 一週間ぶりにイラクリオへ戻って、前回と同じ宿に泊まっています。 パスハ(イースター)の日曜日、ほぼ全ての店が休業、地元民は帰省し、観光客は3軒の軽食スタンド、5軒のカフェに集中するしかありません。everest(サンドイッチ、アイスとかのチェーン店)の店員は今週末だけの緊急要員なのか「ラテ?ってどれ?」「チョコレートソース?どこ?」って感じでした。  数少ないネットカフェ(鋼の錬金術師、ワンピース、ベルセルクとかの海外版置いてある)も閉まっていて、インターネットは無理と思ったら、行政が提供していました。ありがたい。  今日イラクリオ泊かフェリーに乗るか裏道で相談してたら、この宿のベランダから大きく手を振って「部屋探してるなら、そっちじゃなくてこっちに回って~!」と言われたので流されてみました。わざわざ表通りまで迎えにきて「25ユーロなんだけどね、きれいで良い所よ」。宿の人と思ったら親切なオーストラリア人旅行者でした。  アテネでは大体「日本?」と聞かれるのに、クレタでは常に「中国?」でした。謝々、ニイハオとか。ハニアのカフェ店員いわく「少し前に中国の要人一行がハニアを訪れた。アジア人を見たのはそれが初めて。日本人は来たことない」。どうでも良いけど不思議なことでした。 11日から14日の写真。 フェリーからのクレタ島 大好きなミノアシリーズ あと2つはハニアの美術館で。 修道院。鐘は紐で引いて鳴らすんですね。 レシムノ、花盛りの要塞  ハニア。偉大なる政治家ヴェニゼロスの家。といっても偉大さは勉強不足で知らないのですが。「誰、、、?ひょっとしてお客さん?」ととまどいの表情で案内してくれたお嬢さんが美人でした。おばあさんと昼食準備中だったらしく、豆とセロリの煮える良い匂いが。  巨大でカラフルなゴミ収集箱(高さ1.3m位)。生ゴミとそれ以外。ハニアではビン・カンのリサイクル用を見ました。 犬。 トラム駅。このまま寝てしまい、鼻を轢かれかけた。 犬小屋?珍しい。主は不在。