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5月, 2009の投稿を表示しています

イスタンブルへ(2009/05/23-4)

 ソフィア19:10発、イスタンブル翌朝8時着の夜行列車。寝台の席は離れていたけど車掌さんに言って同室に換えてもらい、3段ベッドのもう一つは空席だったのでリラックスして快適な時間でした。だいぶ古そうな車両ですが。  どこまでもどこまでも緑の畑、丘、林、それから夕焼けがあって、予想しなかった満天の星があって(3段ベッドの中段に仰向けになると、ちょうど窓の高さ)、良い物を見ました。 駅。地下街として50店舗近くガラス張りのスペースを用意して頓挫した様子。かなり寒々しい光景でした。 2両編成。途中で増えたかも。 国境駅(トルコ)。パスポートチェック、人によって変える質問、遊んでませんか? トルコの畑は広くてみっしりして生産性が高そう。 土も黒いし。 イスタンブル郊外 昔は木造も多かったんでしょう。

セルビア(2009/05/16-19)

晴れ。  スコピエからバスでレスコヴァッツへ。  15時過ぎ発でまぁ夕飯時には着くだろうと思ったら20時過ぎでした。焼肉店が軒を連ねていると思ったら薄暗い駅前でした。タクシー溜まりの人達は中華料理が食べたいんだな?と言っていたようですが(キネージレストラン位は判ります)、何とか英語が話せる若者を呼び立てて我々の意図(焼肉が食べたい)を知ると、"ABCレストラン"を満場一致で勧めてくれました。しかし外観がシックな紫の迎賓接待調だったので自粛・敬遠して、といって何も見つからずとぼとぼ歩いていたら緑ポロシャツ青年が助けてくれました。  今日はミュージアム・ディ(で、ミュージアムは深夜まで開いているし、音楽やパフォーマンスもあるよと。あぁグリルはこの町が発祥で自慢にしてるよ。すぐそこの KOSARA が良いよ。教会の裏に良いホテルもあるし。  KOSARA で白ワイン、サラダ、名物ロシュティ、羊肉煮込み、サルマ、コーヒーとデザート。戸口に3人楽隊付き。確かに肉は味が濃く柔らかく味付けはきつすぎず。  ほろ酔いだし夜遅いし教えられたホテル(Chermanovich ?)に値段も聞かず泊まって、久し振りに足が伸ばせるバスタブに満足しました。50ユーロでした。  翌日せっかくなので町をぐるりと散歩。人少ない。ハンバーガーうまし。苺があまりに美味しそうで500グラム買います。プラパックなんかじゃなく山積みのをスコップで量ってくれる。日本のみたいに粒ぞろいでも甘くもないけど、これで100ディナール。約140円。  ニシュへはバスで1時間半。高層ビルもある割に大きな町。人口は20万人?ユーゴスラビアの工業製品生産地だったそうで、巨大な団地建物や凝った装飾の商業ビルはその名残でしょうか。今は商業と観光。川があるからか過ごしやすい雰囲気でした。  バスターミナルで私達を見かけて追いかけてきて(君ら速くて追いつかなかったよ)、ホステルまであと30メートルを案内してくれた人、全く言葉が通じないのに道案内してくれたおじいさん、ホステルの2人のヴラディミル、ありがとう。セルビア語が少しでも話せれば大分楽しく過ごせただろうと思います。  骸骨塔はかなり剥落していて思ったより衝撃的でなかったです。4km歩いて行ったのに(まぁそれは好きでやってることで、バスがあるんですが)休日か休み

スコピエ(2009/05/14-15)

晴れ。夕方雷雨  ブライチーノからレセン、レセンからビトラ経由のバスでスコピエへ。例によって窓が開かないバスで蒸し暑さにじっとしていたけど、雷雨に走りこんでからどうも涼しいと思ったら壁に5mmほど穴が開いてて雨と風が吹き込んでいました。誰か暑くて掘ったんじゃないか。  残念ながらスコピエの魅力は私達には良くわかりませんでした。人口50万人。松山より大きそうだけど岡山よりは小さく、でも首都機能があり、といって活発に経済が動いている雰囲気でもない。気にもされない都会の気軽さはなく、といって話しかけられるほど田舎でもない。歴史や名所をちゃんと下調べしてくれば違ったかもしれませんが。色々な要素が混在しているようで、もう何年かしたらそれが魅力になるかもしれません。  スコピエの宿で4人のセルビア人(とパリからのマンガ好き青年)に会えたのはよかった。私達と同じ30歳前後で、採用試験のために1週間泊まっていて、合格なら半年船に乗るんだということでした。よく飲み喋り笑うことの上手さに感服しました。「仕事やめて旅してるならさ、作家になれば?俺らの話聞いて本にすれば良いよ。タイトルは『ガッデム・セルビアン』!ははは、ベストセラーになるよ。」  確かに。そして、この辺りのどの国にも、聞き手を待って語られずにいる話が無数にあるのでしょう。  彼らが熱心に勧めるので予定を変えてセルビアへ行くことにしました。行き先は"対トルコ敗戦時に斬首された数千の骸骨からなる塔"のあるニシュと、"国で一番うまい肉を産する"レスコヴァッツ。それしか判りません。  スコピエの宿「ホステル・ホステル」も悪くなかった。大学の学生会館みたいな内装だけど、結構30代からの人もいて。朝提供されるパン、チーズ、トマトなんかを庭のソファで食べながら、ようやく動かし方を覚えたバックギャモンを練習しました。 城塞跡から町の中心を見る 暗い表情が印象的な選挙ポスター マンションの形が色々あるのは面白い 市立美術館で。

ソフィア(2009/05/20-23)

晴れ  ソフィアは普通に都会でした。すごく久し振りに日本のクレジットカードマークを見ました。じろりと見られたり、判らない言葉で熱心に話しかけられたり、全くありませんでした。ふいっと目をそらす人が多いと感じました。 ・"良い旅を"と(日本語で)書かれた Happy Grill 、結構混んでいるし行ってみたら普通にファミレスでした。 ・半径28cmの大きなピザ、8分の1で1.7レヴァ(100円ちょっと)。夕食はほとんどこれに。 ・アイスクリーム大人気。公園入り口19:30、100人中13人が食べてました。(他ピザ3人) ・ショウケースのアイスは、球体を積み上げた形。ギリシャ、マケドニアはホイップ状だった。 ・あと路上スナックは、ナッツととうもろこし。スーパーマーケットのレジ前棚、3島ナッツで埋まってて驚く。 ・半地下のキオスクに驚く。ビル管理人の兼業?お客さんは地面にしゃがみこんで購入。 ・商品はガラス戸やカウンターの後ろ、客が直接手に取らない方式。セルビアもそうだった。アルバニア、マケドニア、ギリシャは違う。 ・スーパーマーケットの肉充実。25mの一面が肉。ボローニャソーセージ33種、ソーセージ26種、サラミ30種、その他燻製、グリル、惣菜、切り身、冷凍、、、。魚は冷凍ケース1つ。 ・古書市場、全ての店が、本をバナナのダンボール箱に格納。一番丈夫? ・書店が見つけにくかった。文房具店も。 ・ミネラルウォーター Gorna Bania 甘くて気に入る。軟水? なんだか食べ物のことばかりだ。 何をしていたんだろう。 ・大聖堂、イコン美術館、国立美術館、リラの僧院 ・チェスマスターズ見物 ・バックギャモン見物 (This is a game for gentlemen, madam. と言われる) ・布袋を失くす ・ジャンパーとラキを失くしかけて半日分道を戻る ・イスタンブルへの切符が買えなくて1泊延長 ・セルビアで会った自転車旅行の2人が絶賛していたホステル・モステル、屋根裏泊で夕方出るビールとスパゲティを逃し続けた私達には普通でした。 ・"千葉県佐倉市"Tシャツの地元青年につい話しかける。意味はわからず着ていたそうです。 ・お土産買って、郵送したかったけど土曜日は郵便局が休みで、真っ黄色の箱2つ(計6kg)を持って移動することに。

ブライチーノ(2009/05/12-14)

晴れ。  観光地オフリドから首都スコピエに直行するより、農業国マケドニアらしい田舎に行きたくて、eco tourism をやっているというブライチーノに行くことにします。  ガイドブックに載っている番号の相手は、今日はどこも空いてないといって、他の番号を教えてくれました。で、とにかくバスで Resen まで行って、行ったらブライチーノへの最終バスは出た後で、雑貨店のおばさんとお客さんがタクシーを呼んでくれました。地名と"バス"、"タクシー"だけでも困らないときは困らないものだなぁ。タクシー運転手は髭のおじさん、ドイツ語なら喋れるのにと残念そうな様子で、それでも地名とか、あっちは湖、こっちは山と説明してくれました。翌日のタクシーは不案内な無言黒シャツ青年で好対照でした。  ブライチーノはぺリスター国立公園の南西端にある人口150人の村。数十年前は交易や牧畜で2000人が暮らしていたけれど、経済的に立ち行かなくなって多くは海外へ出てしまったそうです。移住先はカナダが多かったようで、村に家を残して時々帰ってきている人や、旅行に来ている人に10人近く会いました。  今は林檎栽培が中心の農村(道沿いに林檎の白い花が花盛りでした。林檎山積みの軽トラとすれちがったり)ですが、スイスのNGOの協力を得て、一般家庭での宿泊・食事やガイド、名産品販売など観光による副収入をあげられている、おそらくこの辺りでは成功した(しつつある)村です。国立公園を挟んで反対側のニジョポリ村であったソマキ氏が、なぜ向こうにばかり観光客が行くのか!と嘆いてました。きっかけと幾つかの好条件の組み合わせでしょうから、いずれ同じことができる気はしますが、なかなか思うようにはならないですね。今でも、ホテルならニジョポリにもあるそうですし、スコピエからは多少近いので誰か行ってくれると嬉しいです。ソマキ氏にタクシーを呼んでもらった身としては。  ともかく、ブライチーノ滞在は快適でした。新緑、とりどりの花、雪解け水の澄んだ流れ、明るい空、鳥の声。それらに囲まれて庭先で食べる朝食。他の食事も家庭的でほっとします。観光客に接する人達は流暢な英語を話しますし、話さない人も好意的ですし。  山歩きも楽しかった。軽いハイキング気分で歩き始めてしまったけど実は17km、高い所は残雪有り、ルート

オフリド(2009/05/10-12)

晴れ。  アルバニア国境はプレハブ小屋と4人の係員(うち2人は休憩中)でのんきなものでした。少し歩いてマケドニア側は高速道路料金所並みにはガッチリしていました。どうせ待ち構えてるだろうタクシーを拾えばいいと思っていたら誰もいなくて、遠くに見える人家までテクテク歩きます。  人家と思ったのは国立公園で、ホテル・レストラン併設の聖ナウム修道院でした。土産物屋、カフェテリア、観光客、案内看板、まるっきり普通の観光地で、さっきまでいたポグラデツが(共産時代からの)観光地といっても諸々ベーシックな部分に心許なさを感じさせたのとの落差に少し驚きます。湖に流れ込む池の水がとてもきれい。  ここでバスを待って(定期ボートは "no boat. bus" ということで、夏だけの営業でしょうか)オフリドの町へ。現地通貨がなくてハチミツ売店でユーロを換えてもらいました。1ユーロ=60ディナール。ベトナム、アルバニアではレートや丸めでちょっと得しようという気配を感じましたが、マケドニアは誰でもこのレートでした。そういう所で安定感を感じます。まぁ誤魔化しにくいしね。  バスは国境まで戻って、居る人を拾うルートでした。これが定期運行しているならタクシーにの出る幕はないはず。1時間位乗って1人110ディナール(2ユーロ弱)だもの。しかし暑かった。この後マケドニアで乗った全てのバスが蒸し暑かった。開けられる窓がごく少ない一方、空調は音ばかりで効かなくて。とはいえ、少なくともこの時期、別に困りはしないです。ゆるゆる安全走行であることのほうがずっと大事。  町外れのターミナルで降りて、センターへ歩く途中で自転車の人に声掛けられ、そのまま彼の宿 "Antonio" へ。hostel でも B&B でもなく、private room というんでしょうか。静かな住宅地、小さいけどバスタブ有り(共同)、洗濯無料、WIFI有、ツインで20ユーロでした。一家の雰囲気からして、あまり騒がしい客は引かない気がします。勧めてもらったレストラン "NEIM" の鶏グリル、皮がぱりっとして美味しかった。  マケドニアの外食と言えばSKALA(グリル)みたいなので、せっせと食べました。ソーセージ、鳥肉ベーコン巻き、チーズ入りハンバーグ。少し塩がきついけど肉の