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9月, 2009の投稿を表示しています

鉄道に乗りたい(20090904)

 とにかくタカリのいない町に行きたい。という理由でハバナから東120kmのマタンサスを目指す。  せっかくだから鉄道に乗りたい。駅の隣の予約窓口に行ったら「今日の分は lista de espera に行って」。で行った1つ目の窓口は「ここじゃない。奥のほうに行って」。で行ったところで「IDが無いと売れないよ。パスポートはだめ!予約窓口に行って」。で振り出しに戻ってしまった。こうして書けば短いけど、実際は各窓口で並ぶから、10時に宿をでて、振り出しに戻ったときには12時過ぎ。汗だくだし荷物は重いし挫折感でぐったり。  ま、仕方ない。チョコレートのHershey社が作ったハーシー鉄道でも目的地に行けるから、そっちを試すことにする。これも駄目だったら、その後部屋探してまた一泊、、、?と暗い気持ちで。  ハバナ湾の対岸にフェリーで渡り、駅に着いたのが14時。ガイドブックでは1日5便、16時頃に1便あるみたいだし、もう駅に電車がいるし、やれやれ一安心。と思ったら、駅員?のおばさんが何か言ってる。5時とか6時とかに聞こえるけど?まさか?、、、で、時刻表見たら、1日3便に減ってて、次のは17:50だった。マタンサス着は真夜中近くになってしまう。やれやれ。  いまさらバスに切り替えたくないし、それはそれでターミナルまで行くのが面倒だし、待ってれば乗れるなら待つよ。幸いテラスカフェがある。というかそれしかない。時間をかけてビール、アイス、食事。これが意外に良かった。対岸には旧市街を眺めつつ、鳥かご、BGMアレンジのビートルズ、クラプトン。2日後の土曜日に行われるダンスパーティに向けてゆるゆると準備が進められていた。ミラーボールを設置して、船が着くごとにアナウンスして。  ハーシー鉄道も、なかなか他所では見られない代物で愉快だった。50周年の革命初期に召し上げて以来、新車を入れてなそうな骨董的車両。出発前に運転士がハンマーであちこち叩く(何のために?)と、車体がボロボロ落ちる。ドアは完全に閉まらないし、灯りは大体消えているし。たまに点くと羽虫が飛び回ってるのがわかる。ずっと林や畑の中だからね。そして揺れる揺れる。船みたい。  それでも充分走るわけで、一時は満席になるくらい使われているわけで、「のぞみ」しか選択肢がないより、こういうのも日本にあったらいいのにと思う。日本は高品質・高価格

2日目(20090903)ハバナ

 美術館、革命博物館、雨の中延々歩いてコッペリア、海岸で夕日を眺め、官営レストランで食事。観光らしい一日。  これでもうハバナはいいや、と思った。というか、昨日からの客引き・たかりにうんざりして、それが少ないという他の町に行きたい。しつこくつきまとわれた回数を数えれば一日2~3回で、うんざりするほどじゃない気がするけど、1回が長くて展開がウェットで疲れるんですよ。    オラ!アミーゴ!中国?日本?オー。日本ベリーグッド。    日本のどこ?東京?    スペイン語しゃべる?    俺は○○。(握手)    (景気、見所なんかの話)    で、どこ泊まってんの?ホテル高い高い。カーサなら安いよ。うちやってるから来なよ。    いらないの?じゃ食事だ。食事食事。ほらあそこ。見える?    葉巻は?    俺腹減ってるんだ。1ペソちょうだい。だめ?何で?1ペソだよ。腹減ってるんだ。アミーゴ。なぁなぁ。 毎度この流れ。最初のうち、単にフレンドリーな人(これがまた結構いる)と区別できないのが困る。

緊張の初日(2009/09/02)ハバナ

 いよいよキューバ行きで緊張する。ロンドンで(7月に!)早々とLonely Planetを買って2度熟読するほど。なぜだろう。他のどの国よりスペイン語しか通じなさそう、というのはあるし、やっぱり資本主義社会とは物事のすすめかたが違うだろうと思うからか。  といってもガイドブックの「持参すべし」グッズから採用したのは虫除けだけ。それで別に困らなかった。2週間だし、コロニアルタウンしか行かなかったから。1ヶ月以上、本当の田舎を旅行するなら、ガイドブックの言うように懐中電灯とか粉末ゲートレードとかピーナツバターとか必要なのかも。他には、メキシコ旅行中から野菜不足による?貧血を感じていたのでビタミン剤。私は持っていって良かったと思う。野菜すごく少なかった。  クバーナ航空の小さな飛行機は、スラブ文字にスペイン語を書き添えてある「YAK-42」。日本語話者にはかなり不吉な印象。離着陸時には床から霧が立ち上るし、リベット周りは錆っぽいし。揺れるたびにヒヤヒヤする。中でも私が一番おいおいと思ったのは、消火器がスラブ文字表記!いったい何年前のもの?!消火器ってたしか賞味期限みたいのあったはず、、、。  しかし、万年経済危機のキューバに航空機を買い換える余裕などないだろうと思う。経済制裁が人命を脅かすことを、我が身におよんでようやく実感した。  失礼ながら食べ物なんか出ないだろうと思っていました。実際は、飴とクラッカー(カナダ製)と飲物が出ました。飴は最後列の私の前で品切れになってしまったんだけど(連れはもらった)。  空港は薄暗く、職員はたくさんいるのに入管窓口を1つしか開けず、他の人はお喋り。手術着みたいな緑色の制服といい、いかにも社会主義っぽい、、、と思ったら、単に私達が出遅れただけで次の便が来たら皆スタンバイしたし、地味な制服に不釣合いな網タイツの流行はせめてものおしゃれか、と思ったら、単に派手好みな私服の名残だった。結局、空港が一番"いかにも"な所だったな。  同じ便で来た日本人2人組に声をかけてもらい、タクシー乗り合いで旧市街へ。彼らは目当ての民宿(貸間)を見つけてきてたけど、私達は何の計画もなし。とりあえずガイドブックの紹介に従って歩く。  客引きを挟むと自動的に5CUC(600円)値上がりするというので、次々寄ってくるのをかわし続けて目的の建物前に

カンクンでの寸借詐欺

そういえばカンクンで2人会った寸借詐欺のこと書こうと思ったんだ。 ・午前中 ・よれっとした白シャツとハーフパンツ、サンダル ・白人男性 が共通するポイントで、口実は 1人目:ウェストポーチを盗まれた!とりあえずホテルに帰るタクシー代20ペソ(150円位)下さい! 2人目:昨晩飲み過ぎてすっからかん。100ペソしかない。クレジットカードはあるけど、この辺りのATM5台試して使えなかった。3ドルあればホテルに帰れるんだ。助けてくれ、、、。 1人目にはつい呑まれて渡してしまいました。 2人目は怪訝な顔してたら去って行きました。偶然、彼が向かった方向が私達の行き先でもあり、後ろから見ていると別の旅行者にチャレンジして、そこのスーパーのATMで使えたわよ、と親切なアドバイスをもらったようです。一応スーパーに入っていました。リアリティの演出と思う細部が却って嘘っぽかった。 キューバからカンクンに戻った日も会うかと少し期待したけど会わなかった。 本当に困ってたなら気の毒だった。けど、それなら文無しって言わずにタクシーに乗るか、警察に行くかすれば大丈夫でしょ。 カンクンには、なんていうか、旅行者くずれ、みたいな人がちらほらいますね。 メキシコ人には見えない外見を活かしたストーリーだけど、こういうののせいで本当に困ってる人がいたら迷惑するから良くないと思う。私たちがパソコン無くした時、何が嫌だったって詐称を疑われたことだった。100円くらいなら理由なく「ちょうだい!」って明るく言ってくれれば渡すのに。ま、どういう要求方法が効くかは人によるか。

(2009/08/30-)カンクン

 やっとカンクンまで来た。バスターミナル前にマクドナルド、向うはバーガーキング。巨大ショッピングモールもあるし、なんか久しぶりこういうの。  キラキラのリゾートに全く関心がない私達としては、この町ではキューバ行きとその後の準備をするのみ。といってもなんだか色々ある。  ・クレジットカードの全件保留を解除&もう一度電話  ・郵便局に荷物局留めの依頼電話(留守番頼んだ人が最近留守みたいだから)  ・キューバ行きの航空券を買う  ・キューバで使う2週間分の現金を手に入れる  ・キューバからロサンゼルスまでの航空券を買う  ・ESTA 宿は客引きのおじさんについていったら、大通りからは10分くらいあるけど冷蔵庫・流し付きで380ペソは結構良い値段というところ。Hotel Los Girasoles。  ハバナからメキシコシティの航空券、直行便は2時間足らずなのに乗り継ぎ便の最長は9時間かかるってどういうこと?と思ったら、グァテマラとかエクアドルとかに行って、乗り換え待ち3時間だったりするんですね。  そこで遅れてもいやだから、早朝だけど安い直行便にしようと決めて予約フォーム入力し終わった時には売り切れたみたいで、、、がっくり。昼の直行便は50ドル近く高い。まぁでもいいや、それで、、、。  ATMから1度に3000ペソ、機械?銀行?によっては1500ペソしか引き出せない。2人で1万円/日(強気すぎるかなぁ)の予算としても14日で14万円、20000ペソ必要。10回かそれ以上立て続けに引き出すのは迷惑だろうし悪い人に見られても嫌だから、場所を変えてちびちび。  これをペソのまま持ち込むか、ここでカナダドルかユーロに替えていくか、キューバ中央銀行のレートと、ここの両替屋のレートを見る限り、後者のほうが良さそうだけど、本当かなぁ。
 人口50万人の Tuxtla Gutiérrez を経由して、ユカタン半島上部の Mérida まで13時間の夜行バス。経由地で久しぶりに巨大スーパーマーケットを見て、ふぁーと思う。  バスの発車前から困り顔だった若い人は、どうも何か書類を忘れてきたらしい。運転手たちに、車で追いかけて来る人から受け取って、と頼んでいる。しばらく走ったところで一台の車がバスを追い越し、窓から紙をひらひらさせた。それから10分ほどたって停まれる場所が見つかり、無事受け取れた。  オアハカ行きのバスでも、荷物の積み間違いか降ろし忘れかで、運転手に電話がかかってきてしばらく停車したっけ。バスターミナル勤務から帰宅するらしい人が(座席には座らず)乗っていったこともある。だからどうってことはないのがいい。30分やそこら遅れたってどうってことはない。っていう感じで日本でも暮らせるといいんだけど。難しいかねぇ。仕事は相手があるからねぇ、、、。  メリダも良い町だった。蒸し暑くて蚊がいて、夏って感じ。観光客が溜まる町でもあるけど、郊外に大きな工場があって、観光だけが産業というわけじゃない。たぶんそれで、観光客への視線に余裕がある。そんななか、ハーイ、パナマボーシ!Noタカーイ の売り込みは頑張ってた。何度前を通っても、自分が雨宿りしてるときでも。あとハンモック。ハンモックなんて重くて買えないよ。  ここではウシュマル遺跡に行った。同じバスで着いた観客は私達のほかに2人だけ。自家用車組も数人で、がらあき。ツアーは比較的涼しい午前中のうちに他へまわるんだろうな。私達もそうしたかったけど、朝ぐずぐずしてたら真昼の到着になってしまい、めちゃくちゃ暑かった。  緑のイグアナがたくさんいて嬉しかった。でも逃げる。やっぱり逃げないガラパゴスは特殊なのか。"亀の神殿"は、亀っぽい模様でもあるのかと思ったら、まさに亀の神殿と呼ぶしかないものだった。 がしがし修復中! 見晴らし~ ピンクで柔らかそうな石が軽やか 亀の神殿。屋根端の丸いのが 本当に亀だった。44個も。 イグアナー! 推定お墓。ドクロ好きは昔からなんだね。 本日の修復作業終了。こんなところでも色がいろいろ。  帰りのバスは、ツーリストインフォメーションによると17:00、バス会社のチケットカウンターによると17:20、バス停を通りすが

再び高地の美しい町(2009/08/24-26)San Cristòbal de Las Casas

真夜中発のバスで6時間、早朝に山間のサン・クリストバル・デ・ラス・カサスに到着。  これがまた綺麗な町だった。  オアハカほどアーティスティックにぴかぴかしてないけど、その分ほどよく力が抜けた感じで、たとえば自由が丘に対して吉祥寺のような、、、。  コーヒー自家焙煎の喫茶店があったり、建物の屋根組みが木造だったり、高地だから陽射しは強いけどあまり暑くない。  ここに来てようやく全面的に楽しい気持ちになれた。メキシコの魅力がじわじわ浸透したのかもしれない。マヤ、アステカの石像や彫刻もやっと「入り組んだ線」から「ここが顔でここが手足」に見えるようになったし。 どことなく中華風な城門が町の入り口。   お菓子と民芸品の市場!甘味好きの心をつかむ名前。 お菓子屋さん。残念ながら3軒だけで内容はお揃い。 カラフル! その近くにある砂糖菓子みたいな可愛い教会。   町一番の見所 Santo Domingo教会は意外とシンプル、、、 と思ったら正面はびっしり装飾。 門前にずらりと民芸品売り。刺繍布がきれい。 夕立に降られて撤収中。 一番は教会横の Sna Jolbil に溜息の出るような織布、刺繍製品が。 犬がついてきた   町の東端の丘まで登って 老犬なのに 疲れました、、、 丘の上の教会 西端も丘の上に教会 フィットネス系遊具があって公園になってる。 丘からニュータウンを見る。周辺は農村からの流入人口でバラック地域化してるらしいけど、この距離ではわからない。洗濯物の色がまた、、、カラフル。 広い庭のあるユースホステルに泊まった。 広場で「虎を好きにペイント」展覧会。通りすがりの人達が、あれこれ言いながらかなり楽しそうに見ていく。 "動物の開放・人間の開放"