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3月, 2016の投稿を表示しています

石垣事件、自転車散歩

土曜日。 夕方、親水公園に「魚捕りに」でかけた。用水路に小魚発見、フミさんは頑張ったけどまあ難しく、私が2匹つかまえた。 中洲みたいなとこで石を投げる(うまい)おんちゃんを見てる隙に、フミちゃんが石垣を3m位登ってしまった。慌てて駆け寄ったら、追いかけてきたおんちゃんが滑って転んでずぶ濡れ…。いまさら降りてくるのも却ってあぶなそうで、私が上に回って最後手をつかみ、5m近く登りきった。で、まだ転んだまま泣いてたおんちゃんを回収。男子って感じになってきた。 ------- 日曜日、久しぶりにお父さんがいる休日だけど、鼻風邪でぐったりしててかわいそう。 午前中は恒例の庭で泥遊び。 3時過ぎから、3人で自転車散歩。蟹沢沼でツクシとり、ノビルとり、縄跳びで電車ごっこ一周、ベンチ下の虫探し。楽しそう。 宏正会病院近くの河原へ足を延ばし、私はヨモギ摘み、2人は川に草や花を投げ込む。

箸の使い方、電線の「でん」と「せん」、風邪

ふみさん、12日にとつぜん箸の使い方がわかったらしい。「こうでしょ?」と得意になって箸を上げ下げしてみせる。よかったね。 「電線のせんは、絵もあるし棒もあるね」(棒みたいな実物にも、線と呼ばれるものがあるね、ということらしい)「電気の線だから電線だよね」「電気を使うのはみんな「でん」がつく?」いよいよ言語発達がメタな領域に達して面白くなってきた。 こういう、喜びと驚きを燃料として世界を発見していく姿勢、誰もが生まれて10年位はもっているように思う。素朴な好奇心が一通り満たされたあと、より複雑な謎と課題に移行できるかが人生の分かれ道なんだろうな。謎を能動的に探し出して、秩序だてて取り組むこと。私自身はいまいち上手くいかなかったから、同じ轍を踏ませたくない。 良い天気だったけど風邪で1日ダウン。動くと咳込み、頭がモーロ―。お迎えのとき「調子が悪いから配慮してくれ」と言っても、我関せず「わんちゃん、見たい」「バンだ!見たい!」「おはな、見たい!」とトットコトットコ逃げ回ってたオンちゃんだけど、寝る前の絵本は2冊で遠慮してくれたっぽい。おかげで朝起きたら治ってた。ふみさんも咳が出てる。 オンちゃんは言葉が達者になって、世界を発見中で、外に行きたくてしかたない。「ひこうきだ!」「バンだ!」「きゅうきゅうしゃだ!」「わんわんだ!」

Tab Lavenのニュースレター、Mort Lewisの訃報

2002年頃からずっと Art のギタリストであり、2011年からは Art と二人で(ときに Cliff Carter のキーボードを加えて)ツアーを続けている Tab Laven、コンピュータとかwebとか全く興味ないという Art と違って、コンサート会場の写真とか Facebook にポツポツ投稿してくれるので、ありがたくフォローしていたのですが、更にありがたいことに、ニュースレターを始めてくれました。 webサイト もカッコよくリニューアルされて。 音と演奏する姿のほかにはインタビュー1つ位しか知らないですけれど、謙譲であったかくてでも飽くなき美の追求者という人柄が感じられ、Artにぴったりのパートナーだなあと、ほのぼの思います。 I got the call from Art in May 2011. He hadn’t sung in months because of the injury to his throat. He said, “Tab, I need to sing with just an acoustic guitar and someone I trust. I thought of you.” Thus began the last four years on the road with Art. After almost 50 years of singing Scarborough Fair, most singers would phone it in, but even in sound check, Art sings every nuance of the song like it’s the first time. Working with him I realized there’s a reason some people with talent make it and others don’t. It’s about dedication and focus and he has that in spades. I’ve been in the music industry for over forty years and I must admit that when Art leans ove

活性化会議

hさんちでグループ活性化の作戦会議。予定外のお客さんもあって、大人5人子ども6人が12時集合。 持ち寄ったお昼食べて、ひとりが子どもらを散歩に連れ出してくれてる隙に2時頃から話し合い。しかし終わらずトーマスビデオに頼って話を継続。フミさんに「いつ大人の会は終わるの?僕の会にしてよ!」と言われつつ4時終了。 グループを一丸としようというのでなく、組みたい人同士が動きやすいよう知り合い度を高めようとなった。ライトニングトークス&ワールドカフェ案は2人に受けたけど初回はハードル高いかなと、4月の総会はやってることブレスト競争と、座席クジ引きを試行する計画。 資料や、データが、流れちゃう問題は個人的に集積していって頃を見て公開しよう。 退屈したフミさんは傑作「踏切と東武東上線」を描き上げた。その後散歩中に声かけてくれた老夫婦にもだいふ褒められた。 夫不在のまま二週間経った気がする。

絵本で動物が擬人化するのはなぜだろう

フミさんと話しててふと疑問に思い、考えてみた。 その一。視点を変える効果。14匹、おたすけこびと。ネズミや小人の視点に立つことで、見過ごされがちな細部を描けたり、幼児に理解しやすいスケールで話ができる。 その二。人間的キャラクターに動物の特徴を加味するケース。タコとブタのダンス。扱いはほぼヒトだけど、鼻の穴やクネクネの足が物語に必要なので、人間には置き換えられない。 その三。人間みたいなことを、動物そのもののキャラクターが行うおかしみ。『ワニワニのおでかけ』『いろ』では、動物はあくまで動物の姿形仕草なのに、金魚すくいしたり、体に色塗ったりする。 その四。動物は動物のまま、言語表現を足すことでわかりやすくしたもの。動物の生態を説明するとか。『タグボートのトートー』『しょうぼうじどうしゃ じぷた』もこの分類か。 その五。動物ともお友達になれたらなあというファンタジー。おさるのジョージ、あきとこん、エルマーとりゅう、ももんちゃん。ゴリラーマンもここだろうか。 そして、動物である必要を見出せない絵本群が残る。私の苦手な絵本たちだ。ぐりとぐら、ぱんだのソフトクリームやさん、ねずみのサンドイッチやさん、みどりの鯉のぼり、ばばばあちゃん…。 別に人間でいいじゃん?と思ってしまうからかなあ、なんか安易な感じがして読みづらい。 でも理由なき動物キャラがすべて苦手というわけでもない。その境目はなんなんだろうな。  苦手でないものの例として、11匹のねこ。これは、まあ話が面白いから…あとまあ我まま気ままさと猫との親和性か…。 わにのアーサー、3歳児には訓話過ぎるけど5歳児には自分そっくりで笑っちゃう。これは動物の擬人化ではなく、人間を動物の形に仮託してると考えたのうがよさそうだ。それによって話の生々しさを和らげてるのかも。分類その六としていいか。 『からすのパンやさん』は私にとって好き嫌いの分水嶺にあるんだけど、これもその分類かなあ。ちょっとね、やっぱりカラスである意味を感じにくい。色々な形のパンとか、小道具と演出で保たせてる感じ。 だとしても、ぞうくんのぼうけん、バムとケロ、はなぜ嫌じゃないのか。くまたくん(やや微妙)は、こぐまちゃんは、うさこちゃんは…こう考えていくと、結局絵の魅力に尽きてしまうのかな。機能的必然性がなくても気にならないくらい、造形に説得力があるかってことに。 それと