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8月, 2016の投稿を表示しています

ポール・デュ・ノイヤー『ポール・マッカートニー 告白』

うーん、私が現役ファンだったら楽しめたかな・・・曲名や人名からぱっと思いだせるとか、ポールの言葉ならなんでもありがたいとか。あんまりサプライズないし、ポール自身の発言は紙面の半分くらいだし、といって客観的史的考察は弱い(と感じられる)し、中途半端な感じ。でもいちおう全部読んだ。 なんでこの類の本や記事はみんな「ロッカー口調」なのかというのが最大の不満。波乱万丈の人生を70年以上生きてきた、知性と創造性を兼ね備えた人物の口調じゃないだろう。いや実際若々しくてカジュアルでフランクな話し方なんだとは思うけど、でもねえ。意味だけなら英語を読めばまあわかるんだから、翻訳者に期待するのはニュアンス、声をとらえて再現してくれることなんだ。 印象にのこったところ: アンソロジー製作時、リンゴがナッツの袋をもってうろうろしてた話。ハンブルグの頃はリンゴが兄貴分で煙草も酒も車も一歩先を行っていた話。 (ビートルズは)民主的になれたんだ。 だけどうぃんぐすはそうじゃなかった。振り返ってみると、それが理由だったのかもしれない。ぼくは民主的な方がうまく行くと思う。独裁的だったわけじゃないけど、ぼくらはけっして平等じゃなかった。ミュージシャンとしてみると、ぼくらの実績はまちまちだった。だからもしかするとそれが、根本的な理由だった可能性もある。(p. 199) 半分まで行ったところで、ぼくはマズいと思いはじめた。でも今さらあともどりはできない。・・・もうずいぶん時間がたってるから、今はもう、とくに気落ちするようなことはない。いくつか、やってよかったと思えるところもあるけど、基本的には不出来な映画だ。それ以外、どう言えばいい?ほら、ジョージだって『上海サプライズ』をやってるだろ。ちょっとしたしくじりをやらかしたときは、正直にみとめるのがいちばんなんだ。(p. 470) ぼくはドラムを叩くのが好きだし、シンプルなプレイに徹していれば、それなりに……そこが僕のドラミングのポイントで、ほかにはあまり売りがないけど、フィーリングだけはあるとおもう。(p. 447) 自伝・伝記ってジャンルは中年頃から面白くなるのかもしれない。優れた自伝・伝記とはどんなものなのか、評伝と違う意義はなんなのか。これから気にして読んでみようか。 うーん、とりあえず考えると、自伝の意義は主観に徹すること

岡 檀『生き心地の良い町』(途中)

読み始めたばかりだけど、これは面白い。Amazonレビュー32件中、31件が星5、あと1件が星4!なのも納得。 自殺者の割合が(島をのぞいて)日本一少ないという徳島県海部町についての研究報告。海部町にも自殺要因(経済的困窮、病気、高齢化、天災などなど)は普通の町と変わらずあるのに、実際に自殺するひとが少ないのは「自殺予防因子」があるからだという仮説に立って、海部町の特性を調べたというもの。 まず第一に揚げられた「いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがいい」という信念があたりまえに根付いていること。これを私たちグループも積極的に強化していきたいと思った。 私がここに惹かれたのはまさにそのような風通しの良さを直感したから。いろんな人がいてもよい、という考え方がある程度共有されているとは思うけど、自分の思うことを自由に表明できるようにはなってない。そこをもう一歩推し進めたい。 子ども時代の話をしたり思い出の品に触れたりすることが、高齢者の脳の働きを活性化するのに有効であるとの研究を知ったのは、のちのことである。 あ、やっぱり。お年寄りは語りつぐのが仕事っていう考えは間違ってないな。 おそらく離島は一般的でないということで、対象外になっているけど、「周りからある程度区切られている、独立している」ということも コミュニティの質を高める要因だとおもう。自分たち意識が強くなる。自分たちでなんとかしなきゃとなる。 だから、海だけじゃなく、川で区切られていたり、山に囲まれている(盆地)ことも特徴として評価したらよかったんじゃないか。 同時に、完全に孤立しているのではなく、回路があることも。 そう考えると東京近郊はのんべんだらりとどこまでも広がりすぎだ。あれは神経に障る気がする。 結局、人間には、ほどよく開かれ、ほどよく閉じている、ことが大事なんじゃないか。 地形しかり、集団の流動性しかり(メンバー交代)、建築しかり、精神衛生しかり。 集団の流動性がどの程度が一番いいか、という研究をしている人がいないだろうか。知りたい。10年で3割くらいは変化していい気がする。 自殺予防因子: いろんな人がいてもよい、いろんなひとがいたほうがよい 右習えの行動がすくない。赤い羽根共同募金、老人クラブ 朋輩組。会則なし、入退会自由、新入りイジメ

草刈り、図書館、台風

夕方から激しい雨というのを期待してた台風は、深夜2時までそれほどでもなく推移しているので、昼間は結局暑かった。晴れからだんだん雨雲が一面に広がる今日の空は面白かった。そうでなくても、土から顔をあげるたび景色は変化している。野外仕事の爽快さのひとつ。 畑の草刈、サツマイモの草取り、道路の草刈り。井戸の畑が面している道路の反対側はほぼ草刈りする人がいない。葛と篠竹で2か所の交差点が危険なほど見通し悪くなってしまったので、私の領分では全然ないけど勝手に刈り払ったら、葛の葉に隠れ、道路の端から木が伸び始めていた。日本の自然はすごく元気で、刈り払いと落ち葉掃きをしていかなければ、1年2年ですぐ降り積もった枯葉が土になるみたいだ。そして土が1cmもできれば木が生えてくる。桑、楮、庭漆、こういう木々をなんと呼ぶんだろう、発芽がよくて1年ですぐ伸びて切られても切られても枯れない、逞しい、畑から言わせればお行儀悪い木々。 暴風雨になったらオンちゃんは怖がるだろうし、車の乗り降りでずぶぬれも嫌だ、と早めに迎えにいったんだけど「ちゅーいのごほん」が借りられないことに納得しないオンちゃんを図書館へ連れていかざるをえず(もう数日「ちゅーいのごほんが借りたいの」と言い続けていたから)、結局雨には間に合わなかった(でも止んだ)。残念ながら『がんばれパトカー』は図書館でも貸出し中だった。 帰って、パトカーの紙芝居、『おはなしよんで、アンニパンニ!』『ウミガメものがたり』『だるまちゃんとかみなりちゃん』『ホリーの夢』『ポンポンおふね』『ブーンブーンひこうき』『たんたんタグボート』、『なぞなぞみせ』一気に読んで疲れた・・・そういえば最近あまり読む時間とれてなかったな。 ふみちゃんが『ポンポンおふね』の絵を模写しつつ、その下に「お話を書いてるの」といったので見てみると  まいましでしっぱゅしはねふとるすたしまてしおねるき←で←エうのねふがこねこ  (子猫がお舟の上で昼寝をしてましたすると船は出発してしまいま(した)) と書いてあった。る、し、す、が反転しがちなのも含めて大変力作で可愛い。昨日は『はたらくくるま』の見開き大集合シーンをずいぶん細かいところまで描いていたし、色もはみ出さずに塗れるし、また画力が一段アップした感じ。 オンちゃんは「しんかんせん描くの。えんぴちゅがいいの

湯浅誠『どんとこい!貧困』『貧困についてとことん考えてみた』

  桐光学園大学訪問授業から気になっていた湯浅さんの本を図書館で見かけ『どんとこい!貧困』というタイトルに惹かれて読んだ。彼の主張にはもともと完全同意なので驚きとか初耳とかはないんだけど、自己責任論や成果主義やグローバルなんたらや、仕方ない気分にだんだん流されていく自分をときどき正気に戻すために折々読みたいと思った。 湯浅さんの本というのは案外ないんだ(ほとんどは共著、対談)ということのほうが面白かった。あくまで活動家なんだ。活動家とはつまり疑問や意見を堂々と声に出すひとであって、駅前や広場でギター片手に歌ってる人が奇異に思われないくらい、そんな人がそこらじゅうに当たり前にいるのが市民社会じゃないかという説明が腑に落ちた。 『貧困についてとことん考えてみた』は茂木健一郎さんが、湯浅さんの案内で札幌・大阪・沖縄の「パーソナル・サポート・センター」を訪れたの記。うんと困っているひとは大抵、幾つもの絡み合う困難にさらされているという実態に対応すべく考案されたというパーソナル・サポートという仕組み、とても良いと思う。ソーシャルワーカーが孤軍(は言い過ぎかもしれないが)奮闘していた状況に、明確に各分野の行政サービスを巻き込んだということだろうか。この町ではどうなっているだろうか。

大村はま『日本の教師に伝えたいこと』

先日の『教えるということ』より一段具体的なテクニカルな話。大変おもしろかった。 プロの教師がこれほどの誠意と技術をもって授業にのぞんでくれるなら、とても家庭教育に太刀打ちできるものでなく、ぜひ学校に行かせたい。 とはいえ、ここまで優れた先生にあたる可能性がどれだけあるだろうか。 うちの子の(私にも)苦手な集団生活、元来がいびつな環境だと思う学校というもの、さらに昨今の余裕をなくしていそうな状況、に耐えてまで・・・。 と気持ちが揺れた。 子どもの状態、学校の様子などをあと7ヶ月?よく見て考えたい。 家庭教育できることになったら、あんなこともやってみたい、こんな風にもしてみたい、と楽しみでもある。 日記はぜひつけたいし、子どもと私とそれぞれ同じテーマで調べて発表とか、いろいろな社会見学とか。 でも家庭が学校になってしまっては困りますといったことを、松田道雄先生が書いていた記憶もある。お母さんが(お父さんが仕事ばかりで家庭にいないので)お父さん役も兼ね、先生役も兼ねてしまうと、子どもにはまるごと受け入れてもらえる存在がなくなってしまう、というような話だったと思う。『母親のための人生論』だったか。それもわかる。 いまからは勉強の時間、とうまく切り替えればいいんだろうか?そんな器用なマネが私にできるか? 学校に行けないからという消極的な理由でなく、学校に行くよりも伸ばしたいからという家庭教育を楽しく実践している人に会えたらいいなあ。

大河原 宏二『家族のように暮らしたい』

高崎市に定員30人の「ケアハウスきょうめ」を設立し、住み込みの施設長として運営してきた10年間のあれこれ記。 『スズキさんの休息と遍歴』を思わせるかつての青ヘル青年、小学校入学時には校長と教頭が挨拶に来たという大河原組の本家の次男、の語り口は、稀に見る筋金入りの、シニカルなようで底抜けな度量を感じさせて、小気味よく、感嘆させられる。 「生きるということは罪を犯してさらにそれに罪を重ねていくことなのだ」と呟き、周期的に「僕は医者をやめたい」ともらしたりする医師と、「犯してきた罪を数えあげたら首を括るしかない」と思っている世捨て人。どちらも人様のために福祉事業をやるような人間ではないのである。そんな二人が逃げ遅れた結果として始めることになった社会福祉事業ではないか。 というけれど、そういう人だからこそ、 各室に10畳の洋室、4畳半の和室、ミニキッチン、風呂トイレ、ベランダ。三食を食堂でみんな揃って食べる以外の決まりはなく、誰がいつでかけようと誰にお客があろうと自由、しかし希望すれば入浴、掃除といった介助だけでなく、ドライブや買い物にも個人的に連れて行ってくれ、徘徊するたび探しに来てくれ、痴呆になろうと寝たきりだろうと本人が望む限りここにいられる。ケア対象者ではなく独立した(でも手助けは必要な)個人として生きられる家。 を実現できたのかもしれない。 福祉は目の前の困難への対症療法なところがあると思うけど、この人達の見据えていた困難はもっと深いところにあるものだから。 活気に満ち溢れ、何事か行うときには人々の心が沸き立っていた――そういう日々が懐かしい。このように書くわたしもまた馬齢を重ねてくたびれてきている。・・・八年間にわたりここに暮らす人達に、わたしはエネルギーを吸い取られて続けてきたのだ。多少はなげやりになるのも仕方のないことだろう。 といいつつも、結局18年間離れることはなく、2010年に亡くなってしまったようで( http://blog.goo.ne.jp/akagi1300nabewarixc/e/3aec01ec3aab0f206d55e546980d5c2c )、大変残念です。 10年を過ぎる頃からここにやってくる人達が変わり始めた。あの頃の役者と同じようなドタバタを今の役者達もやってくれるのだが、それがまるで面白くない。楽しくない

大村はま『教えるということ』

2016/8/2-8/3読了 良い先生の発する言葉づかいの、柔らかくもくっきり伝わる力は、何によるものなんだろうか。アラン、松田道夫、中井久夫、内田百閒、ワインバーグ、に加わる、私の好きな先生がまたひとり増えた。 先日参加した会議でも教職にある(あった)方の話しぶりは、理路整然としつつ、ねぎらいや配慮が行き届いて受け取りやすいもので、見習いたいと思った。 フミちゃんの学習を家でと思っているけれど、ここに言われているような工夫と情熱と覚悟をもって取り組めるだろうか、反省しつつ頑張りたい。この先生ほどに深く考えて向き合ってくれる先生がいるなら、ぜひ学校に行ってほしいけれど。 なぜ、研究をしない教師は「先生」と思わないかと申しますと、子どもというのは、「身の程知らずに伸びたい人」のことだと思うからです。いくつであても、伸びたくて伸びたくて……、学力もなくて、頭も悪くてという人も、伸びたいという精神においては、同じだと思います。一歩でも前進したくてたまらないのです。そして、力をつけたくて、希望に燃えている、その塊が子どもなのです。勉強するその苦しみと喜びのただなかに生きているのが子どもたちなのです。研究している教師はその子どもたちと同じ世界にいます。p. 27-28 最初に本をあけて、感動をもって読む第一読は、学校で感動をもってなされるべきではないでしょうか p. 42 ほとんどの人は、天才なんかではありません。教師の教えを心から待っているのです。子どもですから、口に出して言わないだけの話です。・・・書き出しを少し書いて見せたらどうですか。少し「なになに……」と書いて、「その先を書いてごらん」と、そう書いてやればいいのに。・・・例えば「その木は何の木でしたか」とその横に書いてやっていいのではないかと思います。・・・これを「書くことを教える」というのです。p. 51 ですから、子どもはほとんど全部教師よりずっとすぐれていると思って間違いなしです。そういう敬意といいますか、尊敬を心から持って、この宝物を大切にしたいと思います。年が小さくて子どもっぽいのに気がゆるんで、言葉が乱れたり、態度が乱れたりすることはこわいことだと思います。p. 68 ですから百通りの教材ができたわけです。翌日それを持って教室へ出ました。そして、子どもを一人ずつつかまえては、「これ