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2012/01/04

家族の調子がわるくて出社するつもりをやめて残り少ない有休を使う。

最近休みの日はずーっと台所仕事な感じ。
こどもが7、11、15、18、23時になんか食べ、われわれが7、12、21時(子どもが寝てから)になんか食べるので計7回、食事の準備と片付けがある(23時はミルクだけど)。
親と同じ食事になって、おやつは果物くらいで済むようになるまで、あと半年か?

ベランダで遊ぶ。階段の上り下り、上手になった。もちろん目は離せない。
「バイバイ」と言われると、手をニギニギするのは少し前から。書き忘れてたのをいま書く。

歯磨き訓練に失敗した。母子手帳のガイドにしたがってイチからやりなおすことにする。

親の昼食は鍋屋。まいど接客にイラッとしてるのに来てしまう。餃子うまいうまい。青梗菜やら餃子の皮やらで子どもを宥めつつ。

帰って15時の食事して、こっちも休憩、、、したら寝ちゃって18時すぎ。年賀状だしがてら、がんばってマルエツで買い物。

17時ころから寝ちゃった子どもが食事の時間を過ぎても起きてこない。起こしたら不機嫌に泣き暴れ、何も食べずミルクを飲んでふたたびパタリ。今日そんなに疲れるほど遊んだかなぁ?

親はそのあと白菜鍋。鶏肉、椎茸、春雨と煮るだけでおいしい。小学館『男の料理』でたしか妹尾河童さんが?紹介していたピェンロウとかいうのを、いい加減なレシピでずっと作ってる。モンゴル方面で?本当は羊肉で作る、、、と読んだようなうろ覚え。羊肉の匂いと油がおいしいんだろうなぁ。


『男の料理』は80年代の財産でしょう。週刊ポストだったのか。父親が買い込んでた。贅沢すぎて作れないレシピが大半だけど、ピカピカの写真、豊富な薀蓄がキラッキラまぶしくてねぇ夢のようなシリーズ。そのくせ説明は丁寧だし、作業写真がわかりやすいし、ほんとよくできてた。
検索したら佐伯義勝さんという写真家の作品だったのか。カバー写真懐かしい!これこれ!
http://www.saeki-studio.com/portfolio/men's-cooking/men's-cooking1.html

胡麻団子、生のトウモロコシから作るコーンスープ、ブイヤベースなんか美味しく作れて嬉しかった記憶がある。

そして90年代は『サライ』。普通のメニューの一味違うレシピ。麻婆豆腐とクリスマスのブランデーケーキとは、切り抜きをまだ持ってて、ケーキはオーブンないし今は作る余裕がないけど、麻婆豆腐はときどき作る。
これなのかな?

dancyuは表紙には掴まれるけど、一度買ってそれだけ。やっぱり私にプレジデント社は肌が合わないわー。

コメント

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