年賀状も大掃除も通常の家事さえ放置して、ホットカーペットカバーを作っている。使うあてなく死蔵してきた布がかなり捌けるて嬉しい(一方でキルト芯は再び買い込むことになるが・・・)。『暇と退屈の倫理学』を先日読んだけど、これぞ贅沢という気がする。生産性低いことに人生を浪費する。生産性!生産性!とやかましい現代において・・・と最初思ったけど、太古から有閑とはそういうものだった。そうか、カネの有る無しは関係ないのか。カネが有れば有るなりの贅沢、無ければ無いなりの贅沢があるだけで。手持ちの物で良しとする、良しとできるように生活の線を引くのが贅沢のはじまりか。その線を超えたものが贅沢になるから。手持ちを増やして線をずらそうとしてる間(生産性を高めようとしている間)は贅沢が成立しない。 図書館は閉館、天気は寒い、しかし「お外行く」と言われてしまった。「葉っぱちない」とも。落ち葉拾いに付き合うのはそりゃ退屈だろうよ。仕方なく電車で寄居まで往復。寄居の駅周辺を歩いてみたけど立ち止まる場所もなかった。 帰ってきたら熱っぽいようで、オヤツのサツマイモをモリモリ食べて牛乳たくさん飲んだほかは受け付けず、甘えてグズって早々に寝てしまった。これ幸いと裁縫を続ける。階下は惨状。夫は恒例行事(麻雀)で留守。