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新幹線見物、自転車、いとこたち

2月6・7日
いとこの自転車を譲ってもらえるということで、おじいちゃん・おばあちゃんの家へ。ついでに東京駅で新幹線を見る。いとこ達と遊ぶのも、子ども2人とも楽しみにしているようだ。

フミさんの自転車は試した結果やはり補助輪付から。それでも得意になってガリガリ走っている。日曜に帰ってきたらもう夜で乗れなくて号泣、翌朝も時間なくて乗れず号泣、「ぜったい明るいうちにお迎え来てね!」と言われたけど夫が鍵を持ってでてしまい乗れず号泣。火曜日朝ようやく乗れた。

新幹線を見に、行きは西武新宿線・山手線・新宿から中央線。新幹線ホームには同様の3~5歳児がちらほら。こまち、はやぶさ、かがやき、Maxとき、Maxやまびこ、のぞみ、など一通り見られて満足した様子。オンちゃんは喋る余裕なく凝視。
思い出に電車のシールブック1冊ずつ買った。取り合いしないでよ、という条件で2種類を1冊ずつにしたけど、フミさんは自分ので好きなシールをばーっと貼ってしまったら「もう面白いのなくなっちゃった。オンちゃんの少しやらせて」と言いだし、面白い所独り占めなんかダメだよ!と私に突っぱねられて号泣。難しいねえ。
オンちゃんが結構ずっと抱っこで、大人ふたりは足腰が疲れました。帰りの山手線、優先席を譲ってもらえて助かった。

いとこ達とは公園で砂山と池を作ったり、カードゲームの相手してもらったり。フミさんには貴重な年下の立場で遊べる機会なのかも。オンちゃんはあんまり訳もわからずウロチョロしてるけど、お兄ちゃんと衝突せずに遊べていい。多すぎてもだめだけど5人くらいまでは多いほうが楽しいのかもね。

オンちゃんもおばあちゃん家に馴れてきて、ストライダーで行ったり来たり、猫を構ったり、早朝からいそいそブロックを持ち出したり。だいぶ子どもっぽくなった。

月曜の夜に画用紙に「ろくにち たのしいひ」と書いてて、よかったよかった。「新幹線も見たし、電車もいっぱい見たし、自転車も乗ったし、MちゃんYちゃんと公園にいったし、シールも買ってもらったし」とのことですが、それを字か絵で回りに描けば?という親の欲張った提案には「新幹線を見る僕」の絵だけで飽きられてしまいました。

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保育園で遅番の先生が変わるたびに「おしゃべりが上手になった」と言われるオンちゃん。「ふみ いっちゃった」「ふろ はい(り)たいの」「とーしゃん おきて」と二語文が使える。「やろう」「来て」「立って」「ちょうだいな」「読んで」「しゃむい ぼーし」など要求は不足なく伝えられる。絵本のなかに名前を言えるものがあるとすぐ指差して言う。ときどきつぶやく「大きい小さい」を練習中みたい。耳についた言葉を「え、き?」のように柔らかく疑問形で復唱するのがたいへん可愛い。でもその言葉を自分から言うわけではないのが、じっくり観察タイプらしくて面白い。知ってて言わない言葉が蓄積されている。
あいかわらず形容詞に強い傾向。大きい小さい、熱いしゃむい、しゅごい、かっこいー、適切に繰り出せる。

最近のオンちゃん語: かんしんしん(新幹線)、しゃーしゃ(ミキサー車)、たりぇー(トレーラー)、ぱんちん(パンダ、パンツ)、しゅきみ(踏切)、あっかちゃん!(赤ちゃん)、りんごん(林檎)、ほーはん(ご飯)、ねんね(読んで)。しょーぼー、キューキュー、こーしゃーしゃ(高所作業車)、クレーン、ブーワバー(ブルドーザー)、

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