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『テクノロジーは貧困を救わない』外山健太郎

私にジャストミートな本であった。長年モヤモヤと抱えてきた納得いかなさが、明確な言葉にされている。

テクノロジーに対する態度は「夢想家」「懐疑派」「場合による派」にわけられる。
事実誤認によってわかれているのではない(夢想派もマイナス面は知っているし、懐疑派もプラス面を完全否定はしない)。
信念とか態度の違いなので、話し合って合意に辿りつくことはない。
そして、どれも役に立たない。

「統計的に見て、大規模な社会的プロジェクトの効果は期待値ゼロである」という研究結果

テクノロジー単体で人や社会に変化を起こすことはできないのはなぜか

どこでも移植可能にされたテクノロジー=介入パッケージは、過剰に期待されるが、それ単体では効果をあげない
・ワクチン接種
・自由選挙
・パソコンを配布、インターネット接続

テクノロジーは「増幅するもの」である。
人間や社会がすでに行っていること、すでに持っている願望、性質を増幅するもの。よきにつけ悪しきにつけ。
いま行っていないことを出現させることはできない。

介入パッケージに関わる人は、指導者、実施者、受益者がある。
その三者に、心(意図)・知性(判断力)・意思(自制心)が必要。

効果的なテクノロジー使用3原則
・第1:目標にあった人的能力を特定するか構築すること
・第2:適切な人的能力を増幅させるために介入パッケージを活用する
・第3:介入パッケージの無節操な普及は避けること。逆効果になることもおおい

メンターシップによる(心・知性・意思の)内面的成長が願望を呼び覚ます。
願望が目覚めれば、利用できるテクノロジーは見つかるもの。

魔法の杖の一振りで地球上のすべての人の富が急に増えたらと想像してみてほしい。そしてこの棚ぼたが累進的に起こり、1日1ドルで暮らす人の富は10倍ずつ増えるのに対し、億万長者の富は1パーセントしか増えないと想像してみよう。その杖の一振りで経済的成長が生まれ、世界はより平等になり、より大きな尊厳、さらなる自由、そして即座に幸福が手に入る。だが、それで長期的に世界がより良い場所になるかというと、それはまったくもって定かではない。幸福は薄れ、消費は増え、貧しい人々はまた貧困に逆戻りしてしまうだろう。では代わりに、魔法の杖が地球上のすべての人々の心、知性、意思を急激に育てるが、ほかのことは何も変えなかったとしよう。そうすると経済的成長は必要な場所には自然に増え(必要でない場所では自然に減り)、正義、尊厳、責任を伴う自由が増え、世界規模の幸福が持続する可能性が高まる。


著者もいうとおり、すごく多様な人間活動に適用できる考え方だ。
コミュニティ内の交流を活発にしたい、前向きな行動につながるようにしたい、というのは
まずローテクで実現すべきなんだな。
そして、もっとやりたい(けど物理的・時間的制約が壁)となった時に技術を使うことができる。

コメント

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