創作の目標のひとつにしたい佐藤忠良さんの対談。
絵をまた描きはじめた目で読むと、あちこち響いてくる。
絵をまた描きはじめた目で読むと、あちこち響いてくる。
満州に行かされていたんです。じきにソ連が参戦し、突撃ってことになって――。僕は戦線から逃げ出したんですよ。隊長を誘惑してね。その時、逃げるっていっても行く先がはっきりしないんですよ。日本海を泳いで帰るわけにもいかない。あのころ三十三歳くらいでしたか、元気だったんですね。先が見えないなら、地続きの、かねて憧れていたパリまで、歩いて行くより仕方がない――真剣に考えたんです。
人の顔をつくるとき、その人の怒りや喜びや過ごしてきた時間――粘土の中にね、過去と現在と未来までも、かっこいい言い方すると時間性をぶち込もうとするんです。それが彫刻家の苦しさだと思う。[中略]永く鑑賞に耐える芸術は、時間性を持たなくては――。
彫刻って、手でいちばん苦労するんです。手の動き方一つで、きざになったり、甘ったれたものになってしまったり。手の位置にも苦労しますね。
たとえばリンゴを描きたいというときは、その作家の全内容が投影して、書きたくなるわけです。描きたいなって思ったときに、作者のあらゆる哲学的なものや、思想的なものが投影できれば、絵のリンゴのほうが実際のリンゴよりよく見えてくる――。
でも、シベリアに抑留されていた三年間、男ばかりで過ごしていると、本当に、すべてのことを見せ合ってしまう。その時、我々日本人っていうのは、教養と肉体がバラバラになっていると思いました。
僕は日本にいるときから、ヤギなんかずいぶん描いていて、シベリアにいたときは描く紙がないから、心に絵を描くみたいにしてヤギを見ていたんです。
いや、目の前にして言うのはなんですが、何度見ても飽きないものをつくるのは難しいことです。特に気品あるものを作るというのは――。(安野)
僕はいつも思うんですよ。隣人への憐れみがない芸術は嘘ですよ。<中略>気品のないもの、隣人へのいたわりのないものから本物の芸術は生まれてこない。芸術だけではないのですが。
(山根 いずれにせよ作品にまとめるとか、彫刻に生かそうということで、お二人はデッサンをなさるわけですよね)
まあそうですが。彫刻に生かそうというか、何か栄養を蓄積するようなことなんですよ。<中略>
素描というのはいちばんボロが出るんですよ。
いい彫刻というのはどんなに暴れているように見えても、らせん状に躍動感が立ち上がってきて、しかも全部がこう、枠の中にピチッと入っているんですよ。
それで感心しちゃうの。日本の仏像でもなんでもね。特に阿修羅像は手がたくさん伸びているでしょう?でも枠からはみ出してはいないんです。作用と反作用というバランスの原則もちゃんと踏まえていますね。
それを読んだとき「本当にそうだな、僕なんかしわだらけだけど」と。相当のずるさと、いくらかの誠実さがないまぜになって、もう九十年近く生きているうちに、歪みになったりしわになったりしているんだなあと思いました。
それでヒョッと木を思い出したんですよ。
木というのは全くずるさがなくて、自然と戦いながらなにくそと思って生きてきて、こぶになったり干割れになったり。根っこは木全体を倒すまいと、しっかりと支えている。
(安野)一つの本に十五通りの違う想定を考えるというのは大変なんですよ。<<中略>>十六枚目の時に、さすがに、「どうしよう」と思ってねーー。
考えあぐねながら中央線の電車に乗っていたら、対面の座席の人の顔が見えるわけ。そのたくさんの顔を見たときに「あ、こんなに違うバリエーションがある」と思ったの。目が逆さまになっているわけじゃなし、目は目で口は口で、あるべきところに皆納まっているのに、皆違う。わずか十六通りじゃないわけだよね。その時に「やれる!」って思った。顔なんてそれこそ何千、何万通りあるわけだしーー。
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