体制への信頼、懐疑、雰囲気といった変化していく現象を、あとから測定するためのひとつの方法が、行動を突き止めるというやり方である。国立銀行への貯蓄高、死亡広告の文面、アドルフと命名された子どもの数、教会脱退者などなど。民族同胞の雰囲気が頂点に達したのは1937年から1939年の間、1941年以降は急速に低下した。
政治的に始まった抑圧を日常的実践へと移しかえたのは、人々が受動的であり、抑圧を容認し、批判的な言動を同じ考えの持ち主の間でしか行わなかったからであった。p.55
これこそが、近代的人間が一見暴力とは無縁であるかのように見える原因なのだ。人々は暴力を想定しておらず、暴力が起きたならば、それはなぜなのかつねに説明を探し求める。たとえ、何らかの手段としての暴力ではなかったとしてもである。それにたいして、自らの身体的不可侵性が保障されていると信じていない者は、常に暴力を想定し、それが起きても動揺することはない。したがって信頼と暴力のバランスはつねに微妙で難しいものとなる。p.77
暴力というものが反文明的なものであり、抑圧されなければならず、深刻な場合には撲滅しなければならないものという形を取るようになったのは、歴史的に見ればようやく近代になってからのことである。暴力それ自体が非難されるべきこととされ、もちろん手段としての暴力は避けられないとしてもその都度正当化が必要とされるか、もし起こってしまったとすれば説明が必要なものとなった。p.78
しかしたとえば、人間が性欲を持つということに理由づけは必要だろうか。食べたり飲んだり息をしたりすることに[中略]したがって説明が求められるのはその様態であって、根本的な動機ではないのだ。おそらく暴力の場合にも、そのように考えることが有益であろう。[中略]結局のところ人類が生き延びたのは、平和を作り出す能力ゆえではなく、狩猟のさいや、食料を争うあらゆる種類のライバルにたいして行使した暴力ゆえなのである。p.78
家庭という領域では依然としてパートナーや子供、ペットに対する暴力が存在しているし、教会や学生寮といった閉鎖された社会領域でも同様である。[中略]おそらく、日常生活から暴力が無縁になるにつれ、象徴的もしくは代理的に行使される暴力への欲求が高まるのだろう。そして国家間でも依然として、暴力は独占からはほど遠い。p.79
そのような参照枠組みの軸移動から読み取りうるのは、男たちが殺害に個人的な喜びを感じていたということではなく、カテゴリーとして敵と定義された人々を冷酷に殺害することが、戦争における事実上の規範構造になったということなのである。p.117
[捕虜に対する犯罪]法外な犠牲者数の減員は、ひとつには彼らを完全に放置し、生きていくために必要な食料を一切与えないという陸軍指導部の方針である。もうひとつは、自軍の兵士たちにことあるごとに、彼らは「劣った敵人種と文化」と戦っているのだと伝え、自軍の兵士たちに「憎悪という健全な感情」を呼び覚まし、それによって彼らが戦闘において「感傷癖や温情」を示さないよう気を配ったことである。p.118
ロシア人は「価値の低い民族」であり、「動物」であり、「ロシア人は我々とはまったく異なる人間、すなわちアジア人」であるという姿勢は間違いなく、暴力への準備を促した。p.126
それは、多くの兵士たちがユダヤ人絶滅のプロセスについて詳細に知っていたということである。[中略]しかし彼らはそうした知識と自らの行為を結びつけることはしない。p.128
このような「犠牲者を責める」というタイプは、偏見に関する心理学においてきわめて頻繁に記述される、他者を認識し評価するさいの典型である。「犠牲者を責める」という語りが機能するのは、犠牲者が行動する上での前提条件が考慮されることなく、彼らの振る舞い方の原因が彼らの性格に求められる場合である。p.164
本当の理由はおそらくもっと陳腐な点にある。男たちにとって楽しいことというのは、ふつうの状況では決してできないようなことができる、ということなのだ。すなわち、罰せられることなく誰かを殺し、全面的な権力を行使し、まったく日常的ではないことを行い、しかもそれによって何らかの制裁を受けることを恐れる必要もないという感情を、経験してみたかったのである。これはある種の現実逃避であって、動機としてはこれだけでまったく十分である。ギュンター・アンデルスがかつて「罰せられることのない非人道性の機会」[中略]その種の暴力は動機も理由も必要としない。それが行使できるというだけで十分なのだ。p.166
これらすべてが戦争においても生じたということは、驚くべきことではない。なぜならセクシュアリティは、人間生活、特に男性の生活において最も重要な側面のひとつをなすからである。したがって、所与の権力関係(売春という枠組みにおいてであれ、同性愛であれ)における性的行動というテーマが(それが暴力的なものであれ、「合意にもとづく」ものであれ)、従来の戦争研究、暴力研究においてほとんど扱われてこなかったことは、奇妙なことであるように思われる。これは決して史料状況の悪さだけが原因ではなく、とくに社会学や歴史学が日常という視点から距離を置いていたことが大きい。p.196
そのさい、兵士が行使したあらゆる種類の性暴力をエキゾチックなものにしてしまうという誤りを犯してはならない。性暴力は戦争によって作り出された例外状況によってのみ生じたのだ、と考えてはならないということである。日常生活においても、ほぼすべての形の現実逃避のための機会の構造が提供されている。p.195
従順で、自らの義務を果たし、最後まで勇敢に戦うという軍事的美徳は、ドイツ兵たちの認識枠組みにしっかりと根付いていた。p.303
「いい仕事」という倫理が兵士という新たな職業にそのまま持ち込まれただけでなく、あらゆる種類の企業体において存在する、劣悪な労働条件や無意味なやり方、手続き、命令に対する批判は国防軍においても同様に存在した。p.312
「いい仕事」という理想像が行為者の認識や解釈において果たしている役割だけでなく、自らの位置付けや自己イメージが、職業気質というものによってきわめて強く特徴づけられていることを示している。これが、職業労働と戦争という労働の、構造的かつ精神的な共通点なのだ。p.313
~313ページから384ページまで未読~
我々の見解としては、決定的な要因となったのは参照枠組みの軸が、市民生活の状態から戦争の状態へと移動したという点であって、そのことの方があらゆる世界観や性格、イデオロギー化よりも決定的に重要である。p.359
まさにだからこそ戦争においては、人を殺すためには重大な心理的改造も、自己克服も、社会化も必要ないのである。そこでは連関の軸が移動するだけなのであって、人間はその連関の中でいつもやっていることをやるだけなのだ。
戦争とはそういうものだからだ。その代わりに問わなければならないのは、人間はそもそも殺害を止めることができるのか、止めることができるとすればそれはどのような社会的条件においてなのか、ということだろう。[中略]そうした死者が存在するのは、「戦争」という参照枠組みが行為を要求し機会の構造を作り出すからであって、そこでは暴力を完全に囲い込んだり限定したりすることは不可能である。p.385
すなわち暴力を、そのきわめて多様な形において、人類という生存共同体の社会的行為の目録の中にふたたび位置づけることによって、この共同体がまたつねに絶滅共同体であるということをも知ることになる。近代は暴力とは無縁だという信頼は幻想だ。人間は非常に多くの理由によって人を殺す。兵士たちが人を殺すのは、それが彼らの任務だからだ。p.385
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