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再びアテネ(2009/05/31-6/4)

 イスタンブルから列車でコモティニ、テサロニキ経由でアテネに戻ってきました。コモティニ、テサロニキは準備不足でほとんど全ての観光スポットの営業時間を外しました。イスタンブルは見所が沢山あって、さすが千年以上都でありつづけた街は違うと思ったし、全体にフレンドリーだし悪くなかったですけど(日本で近所に店を構えている人にもあったし)、やっぱりギリシャが面白いです。
 なにが面白いのか、まだよくわからない。例えば、カフェやレストランで、誰もが人生の真理について語らっているかのように見える身振り話し振り。バスや通りでの決然たる無表情が、知り合いを見るとたん満面の笑顔になるところ。実害には至らない無数の欠陥(トイレの鍵、レシートの品名、信号、、、)。重々しく自由であり、真剣にいい加減である、ように感じます。

 ともかく、宿は丘の上、毎日坂を上ったり降りたり。25分歩いて Hellenic American Union (HAU) の現代ギリシャ語クラスに通っています。幸いテストに受かって、ビギナーではなく次のクラスに入れました。日本で細々とでも1年以上独習してきたのが無駄でなくて嬉しい。荒木先生に感謝です。
 クラスメイトは10人と少し、色々な国から来ています。カメルーン、コロンビア、ラオス、韓国、ドイツ、アメリカ、イタリア、、、 基本的には家族がギリシャ人であるか、ここで働いているかで、ただ単に勉強したいのは私達ともう1人だけのようです。
 今週は ~μαι, θα 、食事に関する語彙などでした。残り3週間は何をするのかな。文法について、規則を理解するより例を覚えよう!式なので、規則は『現代ギリシア語の入門』の解説で補っています。それに、もし規則を説明してくれても、ギリシャ語では(そして英語でも)たぶん理解しきれないでしょう。
 クラスは月~金、9時から12時。それから何か食べて、図書館かカフェか宿のテラスかで復習・宿題・予習を3時間かもう少し。優雅な学生生活です。

 日曜日に選挙があるらしく、ポスター、CM、ビラ配り、連日どこかで演説がある感じです。

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