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2010/01/11-17久しぶりに外へ出る週

11(月)

アメトーーク町工場芸人きっかけで中川家とくに兄にはまる。素っぽい居ずまいが気になりだすと目を離せない、のに喋らなくて画面に映らないからファン心理の捌け口不足でもどかしい。


12(火)

中川家関連の買い物4点。ルミネtheよしもとでのライブ、新宿モリエールでのライブ、Amazonで『クリスマスには焼き魚にローソクを』(2009/6 幻冬舎)と、『中川家ガイド』(2003/9 東京ニュース通信社)。


13(水)

ルミネtheよしもと。12時からの回にどんな人が来るのかと思ったら、大学生から中年までいろいろだった。
まぁまぁ。予め見すぎて一部のネタしか面白がれず。
ほかの出演者と比べると話のあっちこっちウロウロぶりが際立つ。

TSUTAYAでカード作ってDVD借りて帰る。
『二人息子』2003年。オープニングは演歌だし、家族はビデオ出演するし、好きにやってるなぁ。
『原宿寄席』2006年。間寛平と。面白かった。トリオ名を考えてくると言っていたのに考えてない間寛平。剛案、レモン、メロン、マロン三人揃ってデザートで~す。「、、、マロンてどんな食べ物?」に始まり。
と桂枝雀を2枚。落語もDVDにして欲しいのにどうしていまだにCDが主流なの?

中川家が魔夜峰央にかなり近く見えてきた、、、。
面白いような面白くないようなしかし面白いような。脱線するための本筋。やってることよりやってる人が気になるところ。親バカ日記。わざと会話をこんがらからからせる忍法会話ひしぎ、ただの指差しをジャンケンに持ち込む。
古典的演芸に共通のルーツがあるのかねぇ。


14(木)

先輩に誘ってもらって『サヨナライツカ』試写会へ。辻仁成原作、中山美穂主演。辛かった。表情筋まったく動かない顔で「宿命の恋の炎が燃え上がった」とかいわれても気持ち悪いだけ。
アンケートの誘導ぶりに苦笑。

ズバリ、この作品を見て泣けましたか?またどのように泣けましたか?
①号泣した ②ただただ泣けた ③泣けた ④胸にぐっときた ⑤心で泣いた
⑥気づくと涙が出た ⑦その他

会場ニッショーホール、「日本消防協会」のショーだったとは。

近くに金刀比羅神社があって、ビルの谷間に突如いい雰囲気を出していた。


15(金)

オブジェクト倶楽部『アレグザンダー祭り』。
アレグザンダーの思想と、Toyota Way、Leanのつながり。Agile、Scrumとの違い。DCIの紹介。
同じドメインでもユーザーによって概念モデルは違って当たり前、しかしうまく切り分けられない、、、と最近悩んでいた私には"Role"の説明がぐっときた。

倶楽部員でもないのに延々飲んでしゃべりまくって申し訳なかった。毎度のことながら。
10年前、10年先、人と社会とコンピューターシステム、そんなことを本気で考える人たちに会えて心強かった。

ワインバーグが来日していたと聞いてショックを受ける。がっくり。あぁ、、、。

16(土)

夫の祖父の三回忌。築地本願寺。巨大なコンクリート造。こういう寺もあるのか。
大丸で喫茶して荻窪で会食。久しぶりにちゃんとおいしいもの食べた。
従兄弟と職場の先輩が知り合いだった。


17(日)

枝雀。40分も1人でもたせる落語ってすごいんだなぁ、、、。
夕方、自転車で荻窪の古本屋へ。
阿佐ヶ谷にもどってテントカフェ。
15日にいただいた『プログラミングRuby言語編』(2006/8 オーム社)で勉強を始めた。

荻窪北のことぶき通り商店街、七福神が題材の動物キャラクター、すごい。
マカセトケン。自己否定にもほどがある、、、。

パンコクテン。いや、どろぼう、、、?

コメント

  1. 築地本願寺は明治〜昭和初期の建築家伊東忠太の名作らしいですよ。なかなかに面白げな人物のようだ。

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