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2015/10/19

フミさん4歳10ヶ月
オタフクで3日間絶食したのが5日から8日かな?その後しばらく、無闇矢鱈にゴネる日が続いた。靴下が見つからない、トミカが落ちたリンゴの皮をむかないでほしかった、ドアを自分で開けたかったなどなど、ひっきりなしに不満の種をほじくりだすような、しかも言い出したらこちらの言うことは全く受け付けずゴネるためにゴネているかのような態度に私は寛容になれずずいぶん怒ってしまった。
運動会の疲れ、オタフクの疲れに、日頃の僕をもっと優先的に可愛がって!という気持ちが重なって吹き出したんだと思うけど…。
「(僕がなんでかわいいか)僕知ってるよ、お母さんの大事な宝物だからでしょ」と言われたときは、あーそう言っておいてよかった…と保険に救われた気分だった。その言葉もそんなに優しく心を込めて言った気がしないけど、仮に嘘でも残るのは言葉なんだな。
それはともかく、絵と字が着々と上達している。見て描くことがいまブーム。「カエル」「ナマズ」など絵本の見出しを真似したり。『つきよのくろてん』のクロテンがモモンガに飛びかかるシーンも上手に描いた。ブロックは階段、壁、屋根、クレーンなど複雑な構造を作り出した。
オンちゃんとはまだトミカの奪い合いが頻繁するものの、絵本やブロック、積み木などではだいぶ平和に遊べるようになってきた。お風呂や水遊びは前から平気。

オンちゃん1歳8ヶ月
可愛い盛り。トミカを重ねて「シュオー」といいながら指差す、歌にノリノリ、股のぞき、私に馬乗りなど。
言葉はあいかわらず増えない。まーま、がっこ(抱っこ)、やーや、ないない、バス!、ガーガ(電車)、ブーブワー(ブルドーザー)、わんわ、にゃーにゃ、むーむ(牛)、ちゅ!(鳥)。しかし表情、視線、身振りて用が足りているから急ぐ必要を感じていなそう。こちらの言葉は、自分に向けられたものならほぼ理解しているっぽい。

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