フミさんと話しててふと疑問に思い、考えてみた。
その一。視点を変える効果。14匹、おたすけこびと。ネズミや小人の視点に立つことで、見過ごされがちな細部を描けたり、幼児に理解しやすいスケールで話ができる。
その二。人間的キャラクターに動物の特徴を加味するケース。タコとブタのダンス。扱いはほぼヒトだけど、鼻の穴やクネクネの足が物語に必要なので、人間には置き換えられない。
その三。人間みたいなことを、動物そのもののキャラクターが行うおかしみ。『ワニワニのおでかけ』『いろ』では、動物はあくまで動物の姿形仕草なのに、金魚すくいしたり、体に色塗ったりする。
その四。動物は動物のまま、言語表現を足すことでわかりやすくしたもの。動物の生態を説明するとか。『タグボートのトートー』『しょうぼうじどうしゃ じぷた』もこの分類か。
その五。動物ともお友達になれたらなあというファンタジー。おさるのジョージ、あきとこん、エルマーとりゅう、ももんちゃん。ゴリラーマンもここだろうか。
そして、動物である必要を見出せない絵本群が残る。私の苦手な絵本たちだ。ぐりとぐら、ぱんだのソフトクリームやさん、ねずみのサンドイッチやさん、みどりの鯉のぼり、ばばばあちゃん…。
別に人間でいいじゃん?と思ってしまうからかなあ、なんか安易な感じがして読みづらい。
でも理由なき動物キャラがすべて苦手というわけでもない。その境目はなんなんだろうな。
苦手でないものの例として、11匹のねこ。これは、まあ話が面白いから…あとまあ我まま気ままさと猫との親和性か…。
わにのアーサー、3歳児には訓話過ぎるけど5歳児には自分そっくりで笑っちゃう。これは動物の擬人化ではなく、人間を動物の形に仮託してると考えたのうがよさそうだ。それによって話の生々しさを和らげてるのかも。分類その六としていいか。
『からすのパンやさん』は私にとって好き嫌いの分水嶺にあるんだけど、これもその分類かなあ。ちょっとね、やっぱりカラスである意味を感じにくい。色々な形のパンとか、小道具と演出で保たせてる感じ。
だとしても、ぞうくんのぼうけん、バムとケロ、はなぜ嫌じゃないのか。くまたくん(やや微妙)は、こぐまちゃんは、うさこちゃんは…こう考えていくと、結局絵の魅力に尽きてしまうのかな。機能的必然性がなくても気にならないくらい、造形に説得力があるかってことに。
それと、基本的に一種類の動物で構成されてるのが良いのかも。それなら「人間をクマの見た目にしたよ。可愛くて楽しいでしょ?」と受け止めやすい。その点でくまたくんシリーズ(の何作か)は微妙。
そして例外はバムとケロ…まああれは犬とカエルじゃなくてバムとケロだから…バーバパパとかムーミンみたいなもので…再び、絵がうまいからとしか言えない…。
つらつら考えてきたことを整理すると、作者において表現の意図が明確である(と感じられる)ことが肝心なのかな。
描きたいのは動物の皮を被った人間なのか、人間みたいなことができる動物なのか、本物の動物なのか、架空の生き物なのか。その世界は、ニンゲン界なのか、クマ界なのか、中間なのか。
なんで人間じゃないの?なんでクマなの?ウサギなの?ほんとにこの造形じゃなきゃダメなの?を考えたうえでの表現であるか。
なんとなく可愛いから、はダメってこと。
私の趣味ではね。子どもは気にしてないように見える。理解できるお話ならなんでも楽しいみたいだ。じゃあ実際はどうでもいいのかなあ。うーん。
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というように、子どものワンダーを手掛かりに、考え直し学び直すことが、これから色々できたらいいなあ。
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