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肥料業界の闇・・・ではなかったようだが。

販売グループで、メンバーの使っている肥料や土壌改良材(自家製でなく、購入しているもの)の妥当性を検証しよう、という話になっている。製造方法や混入している材料などを、販売店やメーカーに問いあわせて、有機農業に不適当なものを避けようということ。
これが案外、簡単でないというか、明快な返事がぱっと得られるわけではなかった。

特にそのなかで「製品に記載されている住所と会社名で104に登録がなく、問合せもできなかった」ものが気になり、頼まれてもいないのに追跡してみた。(以下 R社)

1.まずはともかく住所でGoogleストリートビュー

テナントビルが現れた。ラッキーなことに各階のテナント名表示が読める。R社は見当たらない。

2.とうぜん会社名でGoogle検索

平成23年、T県の広報が現れた。肥料取締法に基づき、肥料を登録した旨を告示する、という内容。住所は同じ。

3.他テナントの業務内容を一応チェック

社内カンパニー的なことがあるかもしれない?・・・が業務内容も肥料の気配すら感じさせるものなし。

4.ビルのオーナーに電話

住所やビル名で色々探していたら、ラッキーなことにビルのオーナー企業が判明した。
電話して、肥料の製造元住所がそちらのビルになっていて・・・と説明すると「意味がわからない。そんな会社は知らない。そういった(肥料関係の)会社が入ったことはない。」とバッサリ即答。

5.(独) 農林水産消費安全技術センター(FAMIC) で肥料登録情報を検索

同社の製品が、T県でほかにも数件登録されていた。最新の登録日は今年3月。住所不明問題が移転によるなら、そこに現住所があるかもしれない。
でもこのサイトでは住所がわからない。電話で問い合わせたら「T県に聞いてくれ」

6.T県の肥料登録に関わる役所へ電話

今年3月の肥料登録申請に書かれた住所を教えてほしい、と言うと、まだ公開してないので・・・と渋られた(知ってるよ!だから聞いてるんだよ!)が、FAMICに言われて来たと主張して調べてもらう。
・・・住所変わってなかった。先方もちょっと確認します、となって折り返し待ち。

7.商業登記を確認しよう

登記情報提供サービスの「一時利用」ならクレジットカード払い400円弱で、即時確認できると知った。
いそいそと利用申込→ログイン→検索。検索結果の住所は・・・同じだ・・・。しかし、登記全部見れば、少なくとも代表者名とかわかるはずだ。
登記情報を請求したところで「利用時間は午後9時までです」時間切れ・・・明日再開する。


すでに一日経過して、結構がんばったはずなのに全く情報が増えていない。私も引っ越し2回分の住民票を更新せずに数年過ごしたことがあるし・・・単なる更新漏れなのかもしれない。しかし怪しさを感じてしまっても無理がないと思う。
肥料登録の審査は何やってんだ、と少し思いつつ、しかし住所まで裏どりはしないよな普通、とも思う。


その後)
T県から返事があり、実際に肥料を作っている工場の名前・住所・電話番号がわかった(I社)。
I社とR社の商業登記をみたら、両方の取締役になっている人がいる。
その人は都会で個人事業主的にR社をやってて、普段は問題の住所にある企業に間借り?常駐?、実家I社の事務関係を担ってもいて、役場の書類なんかは普段いる所に送ってほしいから、問題の住所をR社の住所に設定した、ということで、九割五分あたっているのではないか。

別に闇ではなかったようで良かった良かった。
しかし電話問い合わせできないし、手紙を送っても届くかどうか怪しい(郵便屋さんが知っているのか?)住所で肥料登録とか製品記載とか、ちょっとどうかと思う。
まあ 肥料登録を探す→受理した都道府県に問い合わせ で連絡が取れるということはわかったので、肥料業界的にはそのルートが当たり前なのかもしれないけど!ユーザーから辿りつくの大変すぎませんか!

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