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剔抉づいた日(2009/11/1)

布ぞうり作ってみた。
冬物コートを切って作ったら結構足裏があったかい。着なくなった服、使わなくなった布団カバーなんかの布が捨てられず、といって使い道もなく(化繊じゃ雑巾にもならないし)、埋蔵してたのが使えてこれはいいや。


Wordもう少しちゃんと理解しようと『エンジニアのためのWord再入門講座』『Wordアレルギー解消マニュアル』。
1冊目、Excel方眼紙族を罵る言葉が散りばめられてて疲れる。実際に使う場面を想定して、中立じゃなく善し悪しに踏み込んだ方向性は希少価値で良いけど、読んだら却って嫌になる人多そう。
2冊目、さすがインストラクターでテクニカルライターの文章、絹ごし豆腐のようにするりと入る。しかし無難すぎて引っかかりどころが見つけられない、、、。
尖った内容と柔らかい語り口の両立って難しいんだなぁ。偉大な作家が偉大である理由の一つだったか。


テレビでKONISHIKI氏の余剰皮膚切除手術の様子。「この肉がなくなるんだよ。俺の人生なんなんだろうな。」タフなユーモアにはっとする。


「剔抉という言葉の意味を知ってますか」
パタリロ!58巻で知ってから一度も見聞きしなかった"剔抉"を今日は2箇所で見てなんか嬉しい。
『編集者という病い』見城 徹
『倫理と道徳』河合隼雄・鶴見俊輔 編 「老いと死の倫理」川本隆史

・・・上野にとって、「いい人間」とは「何か問題があるなと感じて、どうやって生きようかともがいていて、出どころがわからないという人」以外にはない。・・・
と言われると、肯定されてほっとするような、ついに安住はできないのかと落ち込むような。

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