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2013/07/15-18

4日もあいてしまった。最近夜起きられないで3時4時に目が覚めるへんなリズムになっている。

『銀河鉄道の彼方に』1章2章面白く読んだけど3章が結局いつもの崩壊パターンか、と思った。でもまあ面白いかな。読み直せばもう少し理解できるだろうか。
『ヤマネコ・ドーム』これも一気に読めるけど思いがグルグルするばかりで、うーん女流って感じ。原発事故あんまり関係ないんじゃない、というのは理解が浅いのか。

15日
昨日のリベンジで秩父高原牧場へ。見晴らしはすごくいい。もっといろいろな動物に触れ合えると期待してたんだけど実質ヤギに草をやるだけだった。うさぎは檻のなか、羊と牛は遠く遠くで草を食べている。「モーモーハウス」って建物には模型の牛とか牛乳パックコレクションとかがあるだけだった・・・。大人もがっかりだけど、フミさんに至ってはこれがモーモーハウスとは思わなかったらしく、帰るとき「モーモーハウス行く、モーモーハウス行く」と大泣き。モーモーハウスという名前で期待を膨らませていたのか。
うどん、スイカ、ソフトクリームを食べた。うどん売店は地元のおばさん3人が切り盛りしており、たかだか3組の客の注文処理にえらく混乱する様子がほのぼのしてよかった。

戻ってそのまま図書館、夫を駐車場で待ってるうちに目が覚めたフミさんはまだモーモーハウスのショックを引きずり、河原に行くとか泣いて訴える。フォークリフトのお店、でなんとか宥め、コメリでビニールシートを買い、畑に敷いて帰ったらもうすっかり夜。軽い気持ちで家をでた割に長旅になってしまった。

16日
研修。なんだったか。

17日
週末のお客さんに向けて家の掃除などはじめないといけないが、あまり進まず。産婦人科。前回の倍、22ミリまで育ってた。
フミさんはセミの抜け殻を保育園に持っていった。寄ってきた他の子に「せみのぬけがら!」と見せてて、交流の芽生えに私は嬉しい。

18日
研修。さなぶりの位置づけで蕎麦やさんに皆で行くため、畑作業は人参播種くらいで、収穫・出荷を総出で片付け、5時ころ出発。私は家に帰って着替えと支度ののち保育園に寄って行く。通好みな評判の蕎麦屋さんらしいがやっぱり私に蕎麦の味はわからないことがわかった。そりゃ普段の安い蕎麦と違うことはわかるが、感動的に美味い!とか思う対象じゃないんだな・・・。
フミさんは皆にチヤホヤされて浮足立ってご機嫌だったけど、肝心の料理は、蕎麦クラッカーを少し、蕎麦を少し、ケーキを1切れのみ。

熊谷警察署付近の道は60km・3車線でトラックも多く、なかなか怖かった。帰りは暗いし俄か雨が激しいし皆スピード出すし、信号の距離感がつかめず一度は赤信号の交差点に突っ込みかけ急ブレーキ(フミさん「いま、すごかったね」)、その後遺症もあり緊張して走ってたら11号に入る交差点を見逃して滑川まで行ってしまい・・・免許取って5ケ月の私にはちょっと難しい行程だった。フミさんは空腹だろうに熟睡、車から降ろしても起きず、そのまま朝まで。ご苦労さまでした。

19日
研修を来週の月曜にずらし、今日こそは掃除をしなければならない。どうにも小バエを根絶できなかったのでレッドアース焚いて保育園、ヤマトで野菜発送、ヤオコー駅前店から思い直してみどりヶ丘店で買い物(小川町有機農業生産グループの野菜がある)、もどって昼ごはん休憩してるともう2時。だめだなあ。そこから掃除はじめ、まあ明日昼に迎えられるくらいには何とかなったか。

ドーム状のテーブル&椅子と思ってた遊具は実はさかさまになっていたのであって、対面式ロッキングチェアだったと今日わかった。新しい遊具に帰る子がみんなひっかかっていく。フミさんも例外でなく、今日は40分も園庭をうろついてしまった。ブランコに座っていくらか揺れたり(足はまだ微動だにしない)、すべり台を登ってサツマイモ畑を見て花壇を見てママゴトハウスといういつものコースにロッキングチェアが加わったものだから。他の子と一緒に座れてうれしそうだし。お迎え後は速やかにおかえりくださいと書かれているけど駐車場が混まない時間帯だからまあ勘弁してもらおう、といつも思う。

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