ベトナムのスーパーで「日本で見かけなそうな茶」をいくつか買ったうちの一つが苦丁茶(という名前は帰ってから知った)。日本でも健康によいということで結構見かけるものだった。旅の途中で試して、あまりの苦さに即日本行きの小包で送ってしまった。
淹れ方次第で美味しいのかと期待してたけど、どう淹れようとすごく苦いものなんですね。
細い棒状に丸まった茶葉をマグカップに一本、一分未満、うすーく出して(水色なんてつかないくらい)飲めば飲めないこともない。なんとなく体が暖まる気がする。
ダシガラをうさぎが食べる、と苦丁茶専門ネットショップの人が書いてたけど、うちのは全く関心なさそう。全体に最近食欲なくて心配、、、走り回る分には元気。
ブルガリアで買った料理の本を訳している。日本で作るのは難しそうなものが多い。頻繁に登場する Sireneチーズ(フェタ・チーズとほぼ同じみたい)とか「子羊の腸間膜」とか手に入らないでしょう。訳語も結構わからない。green onionはネギで良いのか? seed onion て何だ? fillet は部位と形態どっちの意味だ? solt of lemon はシュウ酸水素カリウム?
やっぱり実際に食べた経験なしでは厳しいな。
でも「軽く炒めた肉と野菜をキャセロールに入れ、オーブンでじっくり焼く」アイディアだけいただいて換骨奪胎版を作ったら美味しかった。
仕事を再開するに向けた考え事が数日行き詰る。たどり着きたい結論は決まっていて、景気も悪く格別したいことはなく資格なんかもない以上、まえの仕事の続きがいいでしょう、と納得したいわけ。なのに何故こう悶々と煮詰まるかな。
「よい仕組みってどんなもの?」という問いに自分なりの答えを(いくつか)持ちたい。私は自分の(しようとする)仕事を「何かの望みを叶えるのによい仕組みの像を明らかにする」ことと考える。「お客様の望むものがすなわちよい仕組みだ」で済ませてよいことではないだろう。料理人、床屋、工務店、、、専門家には予め彼自身の理想形を(一つではなく、客の望みの違いに応じて選び調整できるほどに)持っていてくれなければ困ってしまう。
しかし、この何年かやってきたあいだ五里霧中で苦しかった(今も)。何しろ、よい仕組みとは何かもわからないし、どうすれば明らかになるかもわからない。望みを把握する方法だってわからない(けど話が広がりすぎるから、ひとまず脇に置く)。わからないなりに続けてればそのうち、、、とも思えなかった。で、今、考える時間をとったけど、言語化できずうーうー唸るばかり。困ったもんだ。
それでも今日になって思いついたことが二つ。
一つは、よい仕組みとは何かからではなく、自分が今まで作ったり使ったりした仕組みを対象に、よしあしの評価をするところから始めてみるか、ということ。
二つは、仕組みというものに正面から関心を持つ必要がありそうだ、ということ。個人としての私は仕組みが嫌いで、なくて済むなら限りないほうがよい必要悪だと信じている。どこもかしこも仕組みだらけのように感じる世の中が嫌で嫌で、なんか変えたい気持ちが根っこの動機にある。その気持ちに引っ張られて、今現にそこにある仕組みを見ることが少なかったかもしれない。食べ物に関してなら肯定できない事柄でも関心を持てる(食べ物の仕事したほうがいいのかなぁ、、、)。仕組みについても、同じ姿勢でいけば何か見えてくるんじゃないか。
淹れ方次第で美味しいのかと期待してたけど、どう淹れようとすごく苦いものなんですね。
細い棒状に丸まった茶葉をマグカップに一本、一分未満、うすーく出して(水色なんてつかないくらい)飲めば飲めないこともない。なんとなく体が暖まる気がする。
ダシガラをうさぎが食べる、と苦丁茶専門ネットショップの人が書いてたけど、うちのは全く関心なさそう。全体に最近食欲なくて心配、、、走り回る分には元気。
ブルガリアで買った料理の本を訳している。日本で作るのは難しそうなものが多い。頻繁に登場する Sireneチーズ(フェタ・チーズとほぼ同じみたい)とか「子羊の腸間膜」とか手に入らないでしょう。訳語も結構わからない。green onionはネギで良いのか? seed onion て何だ? fillet は部位と形態どっちの意味だ? solt of lemon はシュウ酸水素カリウム?
やっぱり実際に食べた経験なしでは厳しいな。
でも「軽く炒めた肉と野菜をキャセロールに入れ、オーブンでじっくり焼く」アイディアだけいただいて換骨奪胎版を作ったら美味しかった。
仕事を再開するに向けた考え事が数日行き詰る。たどり着きたい結論は決まっていて、景気も悪く格別したいことはなく資格なんかもない以上、まえの仕事の続きがいいでしょう、と納得したいわけ。なのに何故こう悶々と煮詰まるかな。
「よい仕組みってどんなもの?」という問いに自分なりの答えを(いくつか)持ちたい。私は自分の(しようとする)仕事を「何かの望みを叶えるのによい仕組みの像を明らかにする」ことと考える。「お客様の望むものがすなわちよい仕組みだ」で済ませてよいことではないだろう。料理人、床屋、工務店、、、専門家には予め彼自身の理想形を(一つではなく、客の望みの違いに応じて選び調整できるほどに)持っていてくれなければ困ってしまう。
しかし、この何年かやってきたあいだ五里霧中で苦しかった(今も)。何しろ、よい仕組みとは何かもわからないし、どうすれば明らかになるかもわからない。望みを把握する方法だってわからない(けど話が広がりすぎるから、ひとまず脇に置く)。わからないなりに続けてればそのうち、、、とも思えなかった。で、今、考える時間をとったけど、言語化できずうーうー唸るばかり。困ったもんだ。
それでも今日になって思いついたことが二つ。
一つは、よい仕組みとは何かからではなく、自分が今まで作ったり使ったりした仕組みを対象に、よしあしの評価をするところから始めてみるか、ということ。
二つは、仕組みというものに正面から関心を持つ必要がありそうだ、ということ。個人としての私は仕組みが嫌いで、なくて済むなら限りないほうがよい必要悪だと信じている。どこもかしこも仕組みだらけのように感じる世の中が嫌で嫌で、なんか変えたい気持ちが根っこの動機にある。その気持ちに引っ張られて、今現にそこにある仕組みを見ることが少なかったかもしれない。食べ物に関してなら肯定できない事柄でも関心を持てる(食べ物の仕事したほうがいいのかなぁ、、、)。仕組みについても、同じ姿勢でいけば何か見えてくるんじゃないか。
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