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2013/03/05

春がきたと言えるくらい暖かい。

家借りたときから下がってるカーテンの裾が床に引きずってるのをやっと直した。2枚の片方がビリビリなのはどうしたものか。

午後、セイメイファームに鶏糞いただきに行く。前回は屋根のほか半ば屋外みたいなところで感じなかったけど、屋内に積んであるとさすがアンモニアでツンとする。私たちを覚えてくれてた親切なおじさんに愛想よくしてもらっても、ふみさんの目は大きなドーザショベルに釘づけ。米袋と肥料袋それぞれ1つ、30キロ弱か、もらう。

それを畑に置きがてら、堆肥を月末植えるもの(カブ、葱、ニラ)の場所に撒く。マンノウを忘れてスコップで掘り返し、3坪くらいで疲れるわ時間かかるわ、だんだん慣れていくしかない。
1時間半くらい、案外ふみさんは平気で遊んでくれた。畝を踏む、杭を抜く、のには困ってしまうが。気がつけば靴はいてないのも参ってしまうが。

ボカシの材料を探している。米ぬかはJAライスセンターが開いてる月水金に行けばもらえるらしい。籾殻は脱穀の時期しかないと言われた。オカラはどうだろう。小川町の豆腐屋では余ってないんだろうな。

夜カレーうどん。

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就農に対する不安のひとつに、毎日同じことを繰り返せない・習慣化できない、苦手意識があった。ハンカチを忘れないとか、決まったポケットに入れるとか、同じ電車の同じ位置に乗って遅刻しない、実家で飼ってたリスの世話、観葉植物の世話、日記、ジョギング、洗濯掃除、どれもうまくできない。年中無休で畑にたつ仕事が務まるか。

でも最近、前より楽観できるのは、子育てが始まって2年たったから。いやおうなく3食作って片付けて、毎日洗わなきゃ追いつかなくて、ちょっと掃除をさぼるとズボラな自分にも我慢できない部屋になる、という状況にいくらかは主婦力を鍛えられた、かもしれない。ルーティンが苦にならなくなってきた。いまのところ(2週間だけど)苗の出し入れもできている。

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