スキップしてメイン コンテンツに移動

2013/03/16 就農準備校の卒公式

晴れて暖かい。

半年間の就農準備校(有機農業コースⅡ)も今日の卒公式でおしまい。卒公式といってもセレモニーは修了証授与のみ。蕎麦・豆腐作りと昼食会なのが準備校らしく素敵。生徒がワラワラ作業するかたわら、先生がたはテキパキ美味しい料理作り。

31人の準備校生、この先は就農2人、研修1人、コース継続4人、そのほかの人も畑を借りたり、自宅近くで何か取り組んだり、農と関わりつづけたい気持ちは共通。

参加して良かった。良い場だった。飾らない、理屈理念はあるけど手を動かすほうが大事、どこか暢気、そんな人が来ている気がした。4軒をまわることで、農業は人それぞれであることが実感できた。有機農業だとか植えてる作物でいえば同じだけど、畑の広さ、どんな機械や資材を使うか、種芋の切り方とか休憩の取り方とか、細部の違いが積みあがって、全体の印象は「家によって全然違った」のが面白い。家事と一緒で個性がおのずと出る。

農業人は苦労や悩みはあってもクヨクヨしなそうに見える。自然は構わず前に進むから、停滞できない性分に鍛えられるのではないか。芽が出なければ蒔きなおす、日照りで枯れても明日は雨が降るかもしれない、永遠に実らない呪いでもかけられない限り次がある。それと、どこか底が抜けているというか、あっけらかんとしたものを感じた。人事は尽くしても多くは自然の働きに委ねるしかない悟りだろうか。SI業界に感じた息苦しさは、人為制御の可能性を高く見過ぎているせいかもしれない。

料理はもちろんお酒もジュースも原料は自家製で、自分で作ったもので人をもてなせるって素晴らしいとつくづく感じる。私の動機は「うまいものを人に食べさせたい」かもしれない。自給自足はしたいけど自給のためだけなら畑で苦労したいか疑問。社交は苦手だし、人の名前とか覚えられないけど、料理を食べてもらうのは好きで考えればずっとやっている。鼻が悪いからプロの料理人は無理だけど野菜なら作れそう。

とうふ工房の渡邊社長のお話、フードマイレージの件まったく同感。食べ物を遠くに運ぶ意味がずっとわからない。近ければ傷まず美味しく風土の旬に体を合わせられる。塩なんか仕方ないし、時に遠来の珍味を楽しむのは人生の彩だけど毎日の食事は自転車で運べる範囲で賄いたい。

二次会は安居酒屋でスミマセン・・・金子さんに安酒屋のナス漬けとか度胸ありすぎた。召し上がってたけど。

私の悩みは農業者として3反を耕作していけるかということ。体力は追々つくにせよ、家事・育児もあるし、農作業に追われてコンビニおにぎりの昼食みたいにもなりたくない。でも農業者コミュニティに加わるとか、行政の支援を受けるとかには主婦の片手間じゃだめだろうし・・・。それに、自分でも自給のためだけならあえて畑やりたいと思わない気がしてきた。
それについてIさんから改めてアドバイス。「旦那さんがお仕事されてて、お子さんもまだ小さいんだし、自分のペースでやったらいいんじゃないですか、150万円が多いか少ないかわかりませんけど、そんなに自分からハードルをあげなくても」でもそれで気がついたら50になってた・・・とか心配なんですけど「それは、ないと思いますw」と苦笑されて腑に落ちた。そうだ、自分のペースでやってても、農業が好きで向いてるなら段々に品目も面積も増えていくだろう。人に食べてもらおうって話にもなるだろう。そうならないなら自分の望みは別の方向だってことだ。停滞せず動き続けるかぎり焦ることはないんだ。

----
夫は都内で中学の同窓飲みがあり、子どもを連れて実家泊。いい旦那さんで、ありがたい実家である。

コメント

このブログの人気の投稿

GAS 同一カラムを複数条件でfilterできない件

Google Apps Script でSpreadsheetをデータベース代わりにwebアプリをポチポチ作ってて、スクリプトからSpreadsheetにフィルタかける場合、同一カラムに複数条件を設定できないことを知って残念……。 フィルタのかけ方はこんな感じ。 日付を範囲指定したいけど、After、Before片方しかつけられない。 var dataFile = SpreadsheetApp.openById(DATA_FILE_ID); var sh = dataFile.getSheetByName(LOG_SHEET_NAME); var criteriaDateAfter = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenDateAfter(new Date(targetDate)).build(); var criteriaUserEqual = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenTextEqualTo(user.id).build(); if (sh.getFilter()) { sh.getFilter().remove(); } var r = sh.getRange(1, 1, sh.getLastRow(), sh.getLastColumn()) .createFilter() .setColumnFilterCriteria(DATE_COL, criteriaDateAfter) .setColumnFilterCriteria(USER_ID_COL, criteriaUserEqual) .getRange(); FilterCriteriaに2回条件設定してみたり var criteriaDateRange = SpreadsheetApp.newFilterCriteria() .whenDateAfter(new Date(date1)) .whenDateBefore(new Date(date2)).build(); 同じカラムに2回条件設定してみたり var r = sh.getRange(1, 1, sh.get

兵士というもの

体制への信頼、懐疑、雰囲気といった変化していく現象を、あとから測定するためのひとつの方法が、行動を突き止めるというやり方である。 国立銀行への貯蓄高、死亡広告の文面、アドルフと命名された子どもの数、教会脱退者などなど。民族同胞の雰囲気が頂点に達したのは1937年から1939年の間、1941年以降は急速に低下した。 政治的に始まった抑圧を日常的実践へと移しかえたのは、人々が受動的であり、抑圧を容認し、批判的な言動を同じ考えの持ち主の間でしか行わなかったからであった。p.55 これこそが、近代的人間が一見暴力とは無縁であるかのように見える原因なのだ。人々は暴力を想定しておらず、暴力が起きたならば、それはなぜなのかつねに説明を探し求める。たとえ、何らかの手段としての暴力ではなかったとしてもである。それにたいして、自らの身体的不可侵性が保障されていると信じていない者は、常に暴力を想定し、それが起きても動揺することはない。したがって信頼と暴力のバランスはつねに微妙で難しいものとなる。p.77 暴力というものが反文明的なものであり、抑圧されなければならず、深刻な場合には撲滅しなければならないものという形を取るようになったのは、歴史的に見ればようやく近代になってからのことである。暴力それ自体が非難されるべきこととされ、もちろん手段としての暴力は避けられないとしてもその都度正当化が必要とされるか、もし起こってしまったとすれば説明が必要なものとなった。p.78 しかしたとえば、人間が性欲を持つということに理由づけは必要だろうか。食べたり飲んだり息をしたりすることに[中略]したがって説明が求められるのはその様態であって、根本的な動機ではないのだ。おそらく暴力の場合にも、そのように考えることが有益であろう。[中略]結局のところ人類が生き延びたのは、平和を作り出す能力ゆえではなく、狩猟のさいや、食料を争うあらゆる種類のライバルにたいして行使した暴力ゆえなのである。p.78 家庭という領域では依然としてパートナーや子供、ペットに対する暴力が存在しているし、教会や学生寮といった閉鎖された社会領域でも同様である。[中略]おそらく、日常生活から暴力が無縁になるにつれ、象徴的もしくは代理的に行使される暴力への欲求が高まるのだろう。そして国家間でも依然として、暴力は独占からはほど遠い。p.79

佐藤忠良・安野光雅『ねがいは「普通」』

創作の目標のひとつにしたい佐藤忠良さんの対談。 絵をまた描きはじめた目で読むと、あちこち響いてくる。 満州に行かされていたんです。じきにソ連が参戦し、突撃ってことになって――。僕は戦線から逃げ出したんですよ。隊長を誘惑してね。その時、逃げるっていっても行く先がはっきりしないんですよ。日本海を泳いで帰るわけにもいかない。あのころ三十三歳くらいでしたか、元気だったんですね。先が見えないなら、地続きの、かねて憧れていたパリまで、歩いて行くより仕方がない――真剣に考えたんです。 人の顔をつくるとき、その人の怒りや喜びや過ごしてきた時間――粘土の中にね、過去と現在と未来までも、かっこいい言い方すると時間性をぶち込もうとするんです。それが彫刻家の苦しさだと思う。[中略]永く鑑賞に耐える芸術は、時間性を持たなくては――。  彫刻って、手でいちばん苦労するんです。手の動き方一つで、きざになったり、甘ったれたものになってしまったり。手の位置にも苦労しますね。 たとえばリンゴを描きたいというときは、その作家の全内容が投影して、書きたくなるわけです。描きたいなって思ったときに、作者のあらゆる哲学的なものや、思想的なものが投影できれば、絵のリンゴのほうが実際のリンゴよりよく見えてくる――。 でも、シベリアに抑留されていた三年間、男ばかりで過ごしていると、本当に、すべてのことを見せ合ってしまう。その時、我々日本人っていうのは、教養と肉体がバラバラになっていると思いました。 僕は日本にいるときから、ヤギなんかずいぶん描いていて、シベリアにいたときは描く紙がないから、心に絵を描くみたいにしてヤギを見ていたんです。 いや、目の前にして言うのはなんですが、何度見ても飽きないものをつくるのは難しいことです。特に気品あるものを作るというのは――。(安野) 僕はいつも思うんですよ。隣人への憐れみがない芸術は嘘ですよ。<中略>気品のないもの、隣人へのいたわりのないものから本物の芸術は生まれてこない。芸術だけではないのですが。 (山根 いずれにせよ作品にまとめるとか、彫刻に生かそうということで、お二人はデッサンをなさるわけですよね) まあそうですが。彫刻に生かそうというか、何か栄養を蓄積するようなことなんですよ。<中略> 素描