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疲れ気味(2009/06/30-07/02)ブダペスト

 ブダペスト3泊は残念ながらあまり楽しめませんでした。早朝便で睡眠不足、頭痛、ギリシャが恋しい気分、準備不足、喧嘩などなどにより。隅々まできちんとしたきれいな街だったけど、そういうの苦手。落書きもゴミも無いけど、犬や猫や鳥や草やベンチも見当たらない。田舎に行ったほうが楽しめたのかもしれません。

 市場。さくらんぼが安かった。キロ180フォリント≒100円。ケーキ1個70円、ザラ紙に包んでくれる。甘い部分と全く甘くない部分とはっきり分かれているのが面白かった。サラミ、ソーセージ、ベーコン、燻製肉。脂のカタマリ燻製?が山積み。どう食べるのか気になる。買い物バスケット持参の人達。
 ギリシャ物産展の垂れ幕がでていた。アテネからのマレブ航空便ではギリシャ語アナウンスがあったし、あちこちでギリシャからのグループ旅行(声が大きくてわかりやすい)を見たし、ギリシャ料理店も2軒見たし、最も近い関係良好な国だったりするんでしょうか。

 ゲレルト温泉。3500フォリントは高いと思う。すごく何かすごいという訳でもなかったので。

 宿。Lavender Circle。確かに広くて静かな部屋でした。

 National Museum。修復技術・事例の紹介が面白かった。

 道路工事。ブロック敷きにするらしくかなり広い範囲で同時進行中でした。道路工事の人達は全体に愛想がよくてほっとします。

 レストラン、カフェが並ぶラダイ通りの真ん中当たりに1軒だけ、おじさんおばさん達による定食屋がありました。グーラーシュ、豆スープ、ターキー煮込みなど。

 地下鉄駅のエスカレーターがすごく速かった。浜松町駅の”他のエスカレーターより幾分速度が速くなっておりますのでご注意ください”どころじゃない。だからって別にアナウンスも貼り紙もありませんて。


市場の建物
市場
温泉のあるホテル
シタデルからの眺め



道路工事

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