スキップしてメイン コンテンツに移動

大英博物館(2009/07/06-09)ロンドン

 ロンドン3泊5日、大英博物館でパルテノン彫刻の残りを見ることだけ考えて来たら、宿探しに苦労しました。

 博物館は楽しかった。物量はもちろんギリシャ本国が圧倒的だけど、選りすぐりだけあって見栄えするものが多いと思いました。
説明が丁寧でわかりやすく、特にシリア、エジプト、ローマなど近隣地域との影響関係や同時代性の説明が、これはギリシャでほとんど見られないので良かったです。
パルテノン彫刻の展示レイアウトが、ここと新アクロポリス博物館と全く同じで、パズルのように思い出しながら見物しました。観光客としては、どっちでも良いから(私としてはアテネ、、、)でまとめて見たいです。やっぱり。




 宿は早々に誰かに聞いて予約しておくべきだったようです。沢山ありすぎて探すのが大変だったし、当日、翌日に空きがあるようなところは高い割に今ひとつな感じでした。大都市を甘く見すぎていました。
King's Cross の Ashley House に2泊、Gower Street の Langland Hotel に1泊。
後者は「ダブルの予約ですけど、トリプルですよ」ということでしたが、シングルでも良いような部屋にベッドを鮨詰めにしてあったのが可笑しかった。
前者はフランスからの中学生(?)団体が鮨詰めでした。暗く湿っぽい部屋で私には向かなかった。


 街はプラハほど整然としてなくて建物も低くて私達はこのほうが好きだけれど、色の暗さと標識の多さに東京を思い出しました。
100人数えたら88人は何かしら黒い服、鞄でした。横断歩道には"LOOK RIGHT→"、押しボタンの絵入り説明に"CROSS CAREFULLY"。地下鉄車両にロンドン市からの掲示 "STAY COOL IN HEAT TIPS"と題して
  ・水を持ち歩く
  ・具合が悪いときは電車に乗らない
  ・具合が悪くなったら最寄の駅で降りる
  ・駅間で緊急ボタンを押すことを避ける
、、、気にしなければいいんだけど、疲れます。
ゴミ箱も黒い

 大英博物館正面近くのギリシャ料理店に行ったのと、中華料理店でチャーハンが3人盛りで苦しかったのと、
ヒースロー空港のBAラウンジが本拠地だけあって充実していた(コピー機、ゲームコーナー、ワインバー。近々スパもできるとか)のがその他の思い出です。

テムズ川まで散歩もしたんでした。


空港へ向かうタクシーから。

コメント

このブログの人気の投稿

GAS 同一カラムを複数条件でfilterできない件

Google Apps Script でSpreadsheetをデータベース代わりにwebアプリをポチポチ作ってて、スクリプトからSpreadsheetにフィルタかける場合、同一カラムに複数条件を設定できないことを知って残念……。 フィルタのかけ方はこんな感じ。 日付を範囲指定したいけど、After、Before片方しかつけられない。 var dataFile = SpreadsheetApp.openById(DATA_FILE_ID); var sh = dataFile.getSheetByName(LOG_SHEET_NAME); var criteriaDateAfter = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenDateAfter(new Date(targetDate)).build(); var criteriaUserEqual = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenTextEqualTo(user.id).build(); if (sh.getFilter()) { sh.getFilter().remove(); } var r = sh.getRange(1, 1, sh.getLastRow(), sh.getLastColumn()) .createFilter() .setColumnFilterCriteria(DATE_COL, criteriaDateAfter) .setColumnFilterCriteria(USER_ID_COL, criteriaUserEqual) .getRange(); FilterCriteriaに2回条件設定してみたり var criteriaDateRange = SpreadsheetApp.newFilterCriteria() .whenDateAfter(new Date(date1)) .whenDateBefore(new Date(date2)).build(); 同じカラムに2回条件設定してみたり var r = sh.getRange(1, 1, sh.get

兵士というもの

体制への信頼、懐疑、雰囲気といった変化していく現象を、あとから測定するためのひとつの方法が、行動を突き止めるというやり方である。 国立銀行への貯蓄高、死亡広告の文面、アドルフと命名された子どもの数、教会脱退者などなど。民族同胞の雰囲気が頂点に達したのは1937年から1939年の間、1941年以降は急速に低下した。 政治的に始まった抑圧を日常的実践へと移しかえたのは、人々が受動的であり、抑圧を容認し、批判的な言動を同じ考えの持ち主の間でしか行わなかったからであった。p.55 これこそが、近代的人間が一見暴力とは無縁であるかのように見える原因なのだ。人々は暴力を想定しておらず、暴力が起きたならば、それはなぜなのかつねに説明を探し求める。たとえ、何らかの手段としての暴力ではなかったとしてもである。それにたいして、自らの身体的不可侵性が保障されていると信じていない者は、常に暴力を想定し、それが起きても動揺することはない。したがって信頼と暴力のバランスはつねに微妙で難しいものとなる。p.77 暴力というものが反文明的なものであり、抑圧されなければならず、深刻な場合には撲滅しなければならないものという形を取るようになったのは、歴史的に見ればようやく近代になってからのことである。暴力それ自体が非難されるべきこととされ、もちろん手段としての暴力は避けられないとしてもその都度正当化が必要とされるか、もし起こってしまったとすれば説明が必要なものとなった。p.78 しかしたとえば、人間が性欲を持つということに理由づけは必要だろうか。食べたり飲んだり息をしたりすることに[中略]したがって説明が求められるのはその様態であって、根本的な動機ではないのだ。おそらく暴力の場合にも、そのように考えることが有益であろう。[中略]結局のところ人類が生き延びたのは、平和を作り出す能力ゆえではなく、狩猟のさいや、食料を争うあらゆる種類のライバルにたいして行使した暴力ゆえなのである。p.78 家庭という領域では依然としてパートナーや子供、ペットに対する暴力が存在しているし、教会や学生寮といった閉鎖された社会領域でも同様である。[中略]おそらく、日常生活から暴力が無縁になるにつれ、象徴的もしくは代理的に行使される暴力への欲求が高まるのだろう。そして国家間でも依然として、暴力は独占からはほど遠い。p.79

佐藤忠良・安野光雅『ねがいは「普通」』

創作の目標のひとつにしたい佐藤忠良さんの対談。 絵をまた描きはじめた目で読むと、あちこち響いてくる。 満州に行かされていたんです。じきにソ連が参戦し、突撃ってことになって――。僕は戦線から逃げ出したんですよ。隊長を誘惑してね。その時、逃げるっていっても行く先がはっきりしないんですよ。日本海を泳いで帰るわけにもいかない。あのころ三十三歳くらいでしたか、元気だったんですね。先が見えないなら、地続きの、かねて憧れていたパリまで、歩いて行くより仕方がない――真剣に考えたんです。 人の顔をつくるとき、その人の怒りや喜びや過ごしてきた時間――粘土の中にね、過去と現在と未来までも、かっこいい言い方すると時間性をぶち込もうとするんです。それが彫刻家の苦しさだと思う。[中略]永く鑑賞に耐える芸術は、時間性を持たなくては――。  彫刻って、手でいちばん苦労するんです。手の動き方一つで、きざになったり、甘ったれたものになってしまったり。手の位置にも苦労しますね。 たとえばリンゴを描きたいというときは、その作家の全内容が投影して、書きたくなるわけです。描きたいなって思ったときに、作者のあらゆる哲学的なものや、思想的なものが投影できれば、絵のリンゴのほうが実際のリンゴよりよく見えてくる――。 でも、シベリアに抑留されていた三年間、男ばかりで過ごしていると、本当に、すべてのことを見せ合ってしまう。その時、我々日本人っていうのは、教養と肉体がバラバラになっていると思いました。 僕は日本にいるときから、ヤギなんかずいぶん描いていて、シベリアにいたときは描く紙がないから、心に絵を描くみたいにしてヤギを見ていたんです。 いや、目の前にして言うのはなんですが、何度見ても飽きないものをつくるのは難しいことです。特に気品あるものを作るというのは――。(安野) 僕はいつも思うんですよ。隣人への憐れみがない芸術は嘘ですよ。<中略>気品のないもの、隣人へのいたわりのないものから本物の芸術は生まれてこない。芸術だけではないのですが。 (山根 いずれにせよ作品にまとめるとか、彫刻に生かそうということで、お二人はデッサンをなさるわけですよね) まあそうですが。彫刻に生かそうというか、何か栄養を蓄積するようなことなんですよ。<中略> 素描