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2009/07/03-06プラハ

 ブダペストから小さなマレブ航空機で夕方着。Hotel Venezia、屋根裏部屋で扇風機のみは少し暑いけどトリプルで広かった。それに、明るく風通しが良くお湯が出る、この3点で私は大体充分(インターネット、洗濯、キッチン設備があればなお良し)。
乗ってきた飛行機
こんな部屋
屋根裏からの景色

 翌日、中心部まで徒歩30分くらいのルートを散歩。国立博物館がとても充実していました。考古学、鉱物、動物、植物など、各10部屋以上に渡る量の充実と、わかりやすい説明文、図、イラスト、模型、再現写真、拡大写真、子供向けに実物大骨格パズルなどなど、何も知らない人にも興味や疑問を持ってもらおう、という意思を強く感じます。
2階に上がるとマンモスが!


 観光レストランで昼食、市庁舎など漠然と眺めながら川まで。装飾博物館では、かつてナチスに没収された美術品、家具などを所有者についての説明と共に展示していました(特別展)。恐らくナチス側のものである没収手順の図解や進捗報告図のわかりやすさに、システマティックであることの危険性を改めて思います。観光客と似顔絵書きで混み合うカレル橋を渡って、日本大使館のある辺りでガイドブック推奨のチェコ料理店(たったの)2軒中1軒で夕食。

 3日目。カフェ・ルーブルのサービスに意気消沈して土産物街をとぼとぼ歩き、ギリシャからの元気な集団とすれ違って少し元気付けられ、フランツ・カフカ・カフェ横の書店とカフカ博物館近くの書店は小さくて今ひとつ面白くなく(私ではなくダンナさんにとっての問題)、隙間なく敷き詰められた石畳と四角い建物の高い壁がどこまでも続くように感じて疲れてしまいましたが、景気付けに気球?に乗ったら楽しかったです。
 むしろアドバルーンにぶら下がったというか。この時は60m、天候によっては70mまで上がるそうで、この高さから見ると高さ色形が整然と揃っているのも美しいなぁと余裕の感想が持てました。中庭の生活感も少し見えたし。風に吹かれて大きく弧を描くのもひやりとして楽しい。15分で1人30ユーロは私達の予算にとって破格とまではいかなくても随分な値段ですが、まぁ景気付けになって良かった。場所はアドバルーンを目指して行ったら、カフカ博物館の敷地内でした。
ギリシャへの旅行案内も至る所に。大分安くなってるみたい。

カレル城と雲
この風船です




 夕食は再び橋を渡って、通りすがりに良さそうに見えた Marco Polo IV でアヒルのオーブン焼きとか。アヒル美味しかったし高価くなく感じも良かった。良かった。それに、ほろ酔いで御機嫌のギリシャ家族にすれ違えて、また少し楽しくなって良かった。楽しそうなギリシャ人集団は本当に楽しそうです。口々に喋りながらあっちのウィンドウこっちの景色にいちいち足を止め、余す所なく満喫しきっているように見えます。
看板が可愛かった開店準備中。食事はこの隣の店で。
アヒル美味しかった。

 翌朝、トラムに乗りたかったけど祝日で運休路線もあるし時間かかるしお勧めしない、と宿の人に言われて諦め、地下鉄とバスで空港へ。

 あぁ、もう!3日しかいなくて結論出したくないけど、要するに、と言ってしまえば、疲れるばかりであまり楽しめませんでした。ブダペストからの体調不良を引きずってビール気分でなく、田舎に行けず、書店も見つからず。段々わかってきたことだけど、着いてからガイドブック買って読むような私達には各国1週間が最低必要だったし、そもそも全く違うギリシャに恋してるし。残念ですが仕方ありません。


石畳
落書き無いなぁ。
あっても隅っこに自粛気味。良いことなんでしょうけど。アテネは(建物の持ち主には特に)やりすぎかもしれないけどアナーキーで楽しいです。
整然と並ぶ壁が、、、しんどい。

仕掛け時計前に混雑する観光客

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