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2009/07/09リスボン初日

 ロンドンからリスボンに着いたら明るい!あったかい!強い日差し、鮮やかにカラフルな景色、いつも動いている空気。南の海はいいなぁ、って全然南じゃないけどそう思う。みんなの服も明るい色だし。ポルトガル航空機もピンク&緑の楽しいカラーリング。
大西洋岸
推定ドウロ川

 リスボン2泊、「アブラハム渓谷」のドウロ川方面に2泊、リスボンに戻って1泊の予定。忙しない日数だけど、これまでと残りスペインとでシェンゲン協定加盟国でのビザなし滞在上限90日にギリギリだから仕方ない。

 暑いけど Laugh Guide が耐え難いというほどじゃなくて安心。市街地までの直行バスチケットは値上げかつ特典トーンダウンしていた。最も人気のあるバジェットオプションだから早めの予約を、と書いてあったホテルに電話したらあっさり空いていた。バスも通りも空いている様子。不況だからでしょうか。私達は、だからこそ消費は歓迎される使い時だ、と自分を励ましているのですが。

 その後だんだん判ってきたことは、今回のガイドブックは少し外れ。ガイドブックにも当たり外れ(相性の問題だけど)があることを最近知りました。著者が1人だと得意不得意や好みがやっぱり出て、レストラン選びなんかで私達の印象と大分違ったりする。Blue Guide はペダンティックな読み物として充実してるけど、とにかく紙が重い。Laugh Guideは地図を参照しづらかったし、全体に"行き方"が判りにくい。結局、観光より路地散歩、移動はバス電車、という私達には Lonely Planet が一番合うみたい。ポルトガル版がロンドンの書店に無かったから仕方ない。

 ともかく。宿は城のすぐ脇、つまり山の上。広場でバスを降りて、坂道、階段、坂道、階段、坂道を登って玄関を開けたら、、、さらに2階分の螺旋階段が!朝外出したら寝るまで帰りたくないロケーションです。しかしその分テラスからの景色はなかなか良かった。


 白壁、色々の扉や窓枠、敷石舗装の路地とか、細い坂道降りてきた角に食堂があって緑の扉で栗焼きグリルがあるなんて「階段通りの人々」みたいだーと安直に浮かれつつタイル博物館へ。本当に(地図の端である)鉄道駅から1.5kmなのか。ずいぶん遠かったよ。ずっと鉄道車庫の壁沿いでほとんどすれ違う人もいない殺風景な道のりだからか。



ぬいぐるみ沢山。飾り?洗濯?


 タイル博物館にはきれいなものが沢山あり、来た甲斐を感じた。各時代のタイル、金綺羅チャペル。現代のタイル、陶芸作品。中庭。


 カフェが見当たらない、、、と思ったら、ショーウィンドウにジュース缶やコーラ瓶をひっそり並べて置いてある店たちがそうだった。喫茶店兼ビールスタンド兼軽食堂兼タバコ屋だった。わりと皆さんカウンターでビールなりコーヒーなり、パイかなんか一緒にさっと食べて出ていくものみたい。パソコンとか本とかに没頭してる人は見かけなかった。すぐ近くに古本屋が数件集まっているし、お客さんも結構いるのに。どこで読んでるんだろう。

 古本屋はそれぞれ個性的に時代のついた店内で素敵。まず広い。高い天井まで木の棚。平台があったり骨董を飾ったり、奥にサロン(?!)風の部屋があったり、蛍光灯とスチール棚の売り場じゃなく、仕事場兼書斎な雰囲気。いいなぁいいなぁ。これで言葉がわかれば、、、。
これでは何だか判らないけど、アフリカ彫刻とか色々飾ってある店。


舗装もタイル状
その材料

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