ぱっとしない一日。
底ついた野菜を帰りに丸正で補充。
『森にかよう道』新聞連載をあつめたもので一話一話がみじかく、やや物足りない。森は変わらない(循環する)時間にあり、森とともに暮らすかつての日本人もそこにあった、しかし近現代は変わり続ける直線的な時間を生きており、そのギャップが森を疲弊させた、という視点が、哲学者らしく一味違って面白い。通勤路で急いで読んでしまったけど、ゆったりのんびり読んだほうが味わえそう。
「んーちゃんも」「ぼーぼーちゃも」と「も」をつけまくるふみさん。外国語習得時の過剰般化と同じなのかどうか。少し前は「の」だった。「が・は・に・と・を」はまだない。
炒飯を食べさせあって楽しい。あーん、ぱく、きゃきゃきゃきゃ。
先週末からキャー!と奇声をあげるのが目立っている。哀・喜につづいて楽を表現できはじめたということなのかも。怒は多分まだない。欲しい物が得られなくて泣くのが怒には見えない。
底ついた野菜を帰りに丸正で補充。
『森にかよう道』新聞連載をあつめたもので一話一話がみじかく、やや物足りない。森は変わらない(循環する)時間にあり、森とともに暮らすかつての日本人もそこにあった、しかし近現代は変わり続ける直線的な時間を生きており、そのギャップが森を疲弊させた、という視点が、哲学者らしく一味違って面白い。通勤路で急いで読んでしまったけど、ゆったりのんびり読んだほうが味わえそう。
「んーちゃんも」「ぼーぼーちゃも」と「も」をつけまくるふみさん。外国語習得時の過剰般化と同じなのかどうか。少し前は「の」だった。「が・は・に・と・を」はまだない。
炒飯を食べさせあって楽しい。あーん、ぱく、きゃきゃきゃきゃ。
先週末からキャー!と奇声をあげるのが目立っている。哀・喜につづいて楽を表現できはじめたということなのかも。怒は多分まだない。欲しい物が得られなくて泣くのが怒には見えない。
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