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2012/09/15

霜里の研修体験談を聞くために、ふみさんを連れて上野。
窓に貼りついてクレーン、でんちゃ、みどり、きいろ、駅だ、止まった、出発、と言ってるうちに上野到着。エスカレーターとエレベータで少し遊ぶ。この時間も今後考慮しなければ。

上野動物園の前にカフェ・レストランやスタバや出来ていまっぽく小奇麗になってた。カフェ・レストラン Park side cafe は席数が結構あって、並んでもわりにすぐ入れた(そのぶん注文してから待ったけど)。深い軒の下のテラス席は風通しよく、ハーブの香りがふわっとして気持ちいい空間。立木や芝が育つのが楽しみ。

オープンサンド、サラダ、スープ、果物、ケーキのワンプレート1490円を頼み、ふみさんに果物と南瓜スープを全部、オープンサンドの具も少しあげて丁度いいボリューム。もう少し大きい子どもと来たら一皿では足りず二皿では多い(そして高い)ことになりそう。

それから動物園。鳥、パンダ、象、猿、ヒグマ(ガラス1枚へだてて密着!でかい!これは怖い)を見たあと、ホッキョクグマとアザラシの建物を延々周回。なにが彼を引き留めたんだろう。
春先は動物より石に夢中だったけど、今日はガラスに貼りつくくらい興味を示してくれて来た甲斐があった。感想はまだ出ないけど「んーちゃん、とり、見た」って言えたんだからすごい。どうやら鳥が好きだねこの人は。

出たら乗り物コーナーに目が釘付け。回転木馬とバスに乗る。バスは音声がひどく騒々しくて本人も嫌だったみたい。同じ年頃の知らない女の子と、もうお金は入れず(音は出さず)に乗ったのが一番楽しそうだった。


本題の体験談。住み込みだと人間関係とか価値観とか丸呑みしないとシンドイ、教えてもらうより自分の畑(借りても)でやって判らないこと聞く位がいい、就農準備校はちょろっと体験程度、といった所。そうだろうと思う。
一緒にきた10か月のお子さんがフワフワのクニャクニャ、赤ちゃんて可愛いねぇ。1歳9か月はすっかり肌と骨が俗化して、もう赤ちゃんじゃない(可愛いけど)。


夫は中古車を見に別行動で北春日部まで行って即決したらしい。いまある2台の自転車に加えて3台目のオレンジ色。

帰りの電車は抱っこで寝るいつものパターン。Tully's で休憩、夜は具だくさん素麺。おやつ食べそこねたふみさんは、生トウモロコシ、ごはん、素麺をモリモリ食べる。夏バテの夏から食欲の秋に移ったのか。

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ふみさんは「どーぞ」「まってて」「どいて」を逆向きに言う。つまり、もらいながら、待ちながら、どきながら言う。不思議に思ってたけど、自分を「んーちゃん」と言うのと同じ現象か。あれとこれも練習中だし、対の認識が未完成なんだね。

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