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2012/09/22

引っ越して借りる家のオーナーと顔合わせのため、三度目の小川町行。
オーナーは地元の社長さんで、入居したら近隣の方に引き合わせてくださる由。大家さんとのお付き合いは今回が初めてで緊張するけれども頼らせてくれそうな方で嬉しい。娘さん一家がご近所さんでうちと年の近い男の子がいるのも嬉しい。今年の小学1年生は1人!らしく貴重な遊び相手。
家の前が畑だし、その向こうは電車が見えるし、昔ながらの窓が多い作りだし、この家は正解だ。夫は早速こども連れて虫探し、アリジゴク、カマキリ、トンボ、カエルを見つけて楽しそう。

有機野菜レストランは残念ながら準備中で、前回とおなじ駅前の喫茶店で休憩。
またも子どもにサービスしてくださって、優しいお店です。小川町に住むと言ったら「それはそれは。なにしろ毎月人口が減ってますから、3人も増えるとは大歓迎です」と。たしかに町役場のデータを見ると、3.3万人規模の人口が1年前に比べて300人弱は減っている。超高齢化と人口減をひしひしと感じないのは、もう東京区部だけなんじゃないか。

帰りの電車はハイテンションなふみさんをずっと抱っこして立つ修行。見たこと感じたことを大きな声で言うのが楽しくて仕方ない時期が来たようで、静かにと言って聞く年ではなし、せいぜい機嫌良く過ごさせるしかないと割り切ってる私でも少々居づらい。
それで疲れてすぐ寝ると思ったら9時過ぎまで元気一杯で、親のほうがクタクタに、、、。そして珍しく夜中に泣いて起きたのは、色々面白かったけど興奮して疲れた一日だったのでしょう。

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