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2013/01/19

就農準備校。風の丘ファームで、午前は味噌作り、午後は大根の種まき・寒冷紗はり・トンネルがけ、玉ねぎ踏み。この冬は寒い日が続いて、例年以上に霜柱がドンドンドンと土を押し上げてしまっているそう。
味見させてもらったホウレンソウが甘かった。
おみやげの大根も蕪もえぐみが無くて甘くて、うまい野菜ってこういうことか。しかし小川町有機農業生産者グループの宅配5~9品目で3500円は私に買える値段じゃない。だから作るんだけど・・・同じものでもカネのあるひと無いひとで値段を変えるのが当たり前になればいいんだがなあ。

風の丘ファームの裏手に合同で畑を借りる7人(多!)と、地主さんとの仲介をしてくださるTさんと、顔合わせ飲み会。
朝、現地を見せていただいた。1反は無くて、ひとり1畝チョイ、初心者ばかりのスタートには頃合いかと。浦和や志木在住で週1も来られないかも・・・なメンバーの分も草取りとかすれば、私には充分な修行になるに違いない。難は水が無い、地力があまりない、篠竹に襲撃される見込み、でも、車入れられるし、小屋スペースあり、日当たり良し。他の畑に接してないから雑草や虫で怒られることも少なそう。

Tさんのお知り合いで、農業法人でバリバリ働いている方も来たのだけど、200mないご近所さんでびっくりした。住むと面白いねえ。

Tさんは、私と対照的に、10年間の週末農業を経て「そろそろ出荷しなよ」と周りに言われて脱サラ、というソフトランディングぶり。研修に入ったことはなく自分流で。正解なんかないんだから。
今、生産グループには需要がけっこう多く、多くを望みすぎなければやっていくことはできる。必ずしもすぐバリバリ出荷するんでなくても、この町でやる気なら断られないと思うから参加するといい。などなど。

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夫は仕事の関係で大船へ子どもを連れて。帰り、昨日の風邪がぶり返して大変だったらしい。ふみさんも熱っぽい。

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