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2013/02/11

日中に都内で仕事がある夫を子どもと残して私は電車で帰宅、というか小川町の図書館で開かれた第4回種採り講演会へ。

長崎の岩崎 政利さんの言葉を歌詞にしたという「種をあやして」が、畑の四季を写した映像とあいまって良かった。ビデオは非売品、CDは1000円か・・・。
畑に育つ 野菜はやがて
花を咲かせて 種を稔らす
茎の枯れる頃 愛しむように
百姓の手が 種をあやす

幾百年 幾千年
百姓は種をあやしてきた
明日蒔く種を 失くさぬために
いのちを未来に つなぐために (以下略)

種交換会、交換する種のない人も500円でわけてもらえた。マリーゴールド、胡麻、葱、大豆、セロリ、唐辛子、のらぼう菜。こうして手に入れると、ちゃんと作らなければと思う。

午後、野口種苗の野口さんによる3時間講演。いま流通している野菜のほとんどがF1、さらにその多くは遺伝子異常によって花粉を作れない株から得た種を使っている、という不気味で恐い話。世界中に精子のない植物が広がり食べられていること、蜂群崩壊問題や男性の不妊症増加との関連をも野口さんは疑っていると(あくまでも仮説として)。毎年種を買わせたい種会社、量り売りでなく1個いくらで売りたい流通・小売、どこでもいつでも同じ味にするには野菜に味があると困る飲食業・・・普通にまともなものを食べたいだけで、もはや自分で作るしかない時代だと、ますます思う。

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夫と子どもは車で8時過ぎに帰宅。川越あたりで道に迷って3時間あまりかかったらしい。県道254号とか11号とか、同じ番号の道が2本平行に走ってるの判りにくい・・・どこでもあることなのかなあ。

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