スキップしてメイン コンテンツに移動

2013/10/17

明け方に小雨?のち晴れ。冷え込み、暑さとも和らいで昼夜の寒暖差は昨日ほどではない。

研修。出荷、食事当番、トンネル修復のち出荷。
枝付き枝豆は、葉を落としてダメな莢を外して20cm位に 切って袋詰め、、、とずいぶん手間がかかり、今日は3人体制(入れ替わり)。yさんが借りにきてたマメモーグなる枝豆もぎとり機で莢だけにして売るほうがむしろ簡単な気がした。

マメモーグ、、、。マキトール(ネット巻き取り機)、ひっぱり君(ネギのペーパーポットを引っ張り出す)など農業機械のそのまんまな名称は憎めない。
野菜の品種名もなかなか。借金なし、砂糖いらず(どちらも大豆)、ほっとけ栗たん(カボチャ)、レッドファイヤー(サニーレタス)。

昼ごはんは、ニンジンしめじ等の混ぜご飯、さつまいもとカボチャの味噌汁、ニンジン葉と枝豆の天ぷら、カブと鮭のクリーム煮、蛇瓜と豚肉の煮たの。好評でよかった。蛇瓜を長ーく切って八幡巻き風にしたら面白そうだけど、そんな時間とゴボウがない。

畑の台風被害はナスとピーマンが倒れた。もう片付けるか迷う。いまになって結構とれる。

フミサンから「これ何?」ばかりで「なんで?」がでてこない、、、知性に偏りが?といささか懸念していたのだけど、気がついたら始まってた。
  (シビックのきしみについて)
  なんでゴーッていうの?
  なんで壊れちゃったの?
  なんで古くなったの?

  (私に貼られたピップバンについて)
  なんで貼ってもらったの?
  なんでお尻痛くなったの?
  なんで畑で頑張りすぎたの?
  なんでやることがいっぱいあるの?

まだ「どうして空が青いの?」式に自分で疑問を構成するというよりは、気になった地点からオウム返しになんでで追及する感じ。したがって納得という終点が存在せず、なんでってことはないよ、、、そうだからそうなんだよ、で打ち切らざるを得ない場合がままある。その言い回しフミサンもさっそく取り入れてしまった(したいからするんだよ)。

園庭に土星を模したと覚しき丸いジャングルジム?がある。かつては回っていたはずのものだが、恐らくどこかで事故があって固定されている。
フミサンは最近これに登るのが好き、といっても2段目どまり。3段目の土星の輪に今日は立たせてやり、横に歩ける?と唆したら、10cm、5cm刻みにソロソロ歩いた根っからの慎重派。でも喜色満面、得意顔。クラスの子が(先生の制止を無視して)手放ししてみせたのを気持ちは真似して「ふみちゃんもできた!すごいでしょ!」と言いながら絶対に手は離さなかった、と先生に聞いた。ずっとこのようにいられたら誰もが幸せだろうになあ。他人を物差しにしなくても成長はできるんだから。

慎重派ぶりを歯痒く思うことはあるけど、怪我や事件が少ないのは助かる。三年間でこれといったのは、転んだはずみに口を切ること2回、階段から転げ落ちる1回、椅子から落ちる2回、三輪車で100mほど出かけてしまう、くらいしかない。車が来ればピタッと路肩に止まり、触るなと言われたものはまあまあ触らない。今朝、魚焼きグリルをパッと開けようとしたのには焦ったけど(ダメ!と肩を掴んだら、魚を食べるなと言われたように勘違いしたらしく泣いてた)。

せっかく比較的早く帰ろうとした夫は山の手線に足止めされて結局23時過ぎ着で気の毒。この展開しばしば。頼むよ山の手線と東上線。

コメント

このブログの人気の投稿

GAS 同一カラムを複数条件でfilterできない件

Google Apps Script でSpreadsheetをデータベース代わりにwebアプリをポチポチ作ってて、スクリプトからSpreadsheetにフィルタかける場合、同一カラムに複数条件を設定できないことを知って残念……。 フィルタのかけ方はこんな感じ。 日付を範囲指定したいけど、After、Before片方しかつけられない。 var dataFile = SpreadsheetApp.openById(DATA_FILE_ID); var sh = dataFile.getSheetByName(LOG_SHEET_NAME); var criteriaDateAfter = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenDateAfter(new Date(targetDate)).build(); var criteriaUserEqual = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenTextEqualTo(user.id).build(); if (sh.getFilter()) { sh.getFilter().remove(); } var r = sh.getRange(1, 1, sh.getLastRow(), sh.getLastColumn()) .createFilter() .setColumnFilterCriteria(DATE_COL, criteriaDateAfter) .setColumnFilterCriteria(USER_ID_COL, criteriaUserEqual) .getRange(); FilterCriteriaに2回条件設定してみたり var criteriaDateRange = SpreadsheetApp.newFilterCriteria() .whenDateAfter(new Date(date1)) .whenDateBefore(new Date(date2)).build(); 同じカラムに2回条件設定してみたり var r = sh.getRange(1, 1, sh.get

兵士というもの

体制への信頼、懐疑、雰囲気といった変化していく現象を、あとから測定するためのひとつの方法が、行動を突き止めるというやり方である。 国立銀行への貯蓄高、死亡広告の文面、アドルフと命名された子どもの数、教会脱退者などなど。民族同胞の雰囲気が頂点に達したのは1937年から1939年の間、1941年以降は急速に低下した。 政治的に始まった抑圧を日常的実践へと移しかえたのは、人々が受動的であり、抑圧を容認し、批判的な言動を同じ考えの持ち主の間でしか行わなかったからであった。p.55 これこそが、近代的人間が一見暴力とは無縁であるかのように見える原因なのだ。人々は暴力を想定しておらず、暴力が起きたならば、それはなぜなのかつねに説明を探し求める。たとえ、何らかの手段としての暴力ではなかったとしてもである。それにたいして、自らの身体的不可侵性が保障されていると信じていない者は、常に暴力を想定し、それが起きても動揺することはない。したがって信頼と暴力のバランスはつねに微妙で難しいものとなる。p.77 暴力というものが反文明的なものであり、抑圧されなければならず、深刻な場合には撲滅しなければならないものという形を取るようになったのは、歴史的に見ればようやく近代になってからのことである。暴力それ自体が非難されるべきこととされ、もちろん手段としての暴力は避けられないとしてもその都度正当化が必要とされるか、もし起こってしまったとすれば説明が必要なものとなった。p.78 しかしたとえば、人間が性欲を持つということに理由づけは必要だろうか。食べたり飲んだり息をしたりすることに[中略]したがって説明が求められるのはその様態であって、根本的な動機ではないのだ。おそらく暴力の場合にも、そのように考えることが有益であろう。[中略]結局のところ人類が生き延びたのは、平和を作り出す能力ゆえではなく、狩猟のさいや、食料を争うあらゆる種類のライバルにたいして行使した暴力ゆえなのである。p.78 家庭という領域では依然としてパートナーや子供、ペットに対する暴力が存在しているし、教会や学生寮といった閉鎖された社会領域でも同様である。[中略]おそらく、日常生活から暴力が無縁になるにつれ、象徴的もしくは代理的に行使される暴力への欲求が高まるのだろう。そして国家間でも依然として、暴力は独占からはほど遠い。p.79

佐藤忠良・安野光雅『ねがいは「普通」』

創作の目標のひとつにしたい佐藤忠良さんの対談。 絵をまた描きはじめた目で読むと、あちこち響いてくる。 満州に行かされていたんです。じきにソ連が参戦し、突撃ってことになって――。僕は戦線から逃げ出したんですよ。隊長を誘惑してね。その時、逃げるっていっても行く先がはっきりしないんですよ。日本海を泳いで帰るわけにもいかない。あのころ三十三歳くらいでしたか、元気だったんですね。先が見えないなら、地続きの、かねて憧れていたパリまで、歩いて行くより仕方がない――真剣に考えたんです。 人の顔をつくるとき、その人の怒りや喜びや過ごしてきた時間――粘土の中にね、過去と現在と未来までも、かっこいい言い方すると時間性をぶち込もうとするんです。それが彫刻家の苦しさだと思う。[中略]永く鑑賞に耐える芸術は、時間性を持たなくては――。  彫刻って、手でいちばん苦労するんです。手の動き方一つで、きざになったり、甘ったれたものになってしまったり。手の位置にも苦労しますね。 たとえばリンゴを描きたいというときは、その作家の全内容が投影して、書きたくなるわけです。描きたいなって思ったときに、作者のあらゆる哲学的なものや、思想的なものが投影できれば、絵のリンゴのほうが実際のリンゴよりよく見えてくる――。 でも、シベリアに抑留されていた三年間、男ばかりで過ごしていると、本当に、すべてのことを見せ合ってしまう。その時、我々日本人っていうのは、教養と肉体がバラバラになっていると思いました。 僕は日本にいるときから、ヤギなんかずいぶん描いていて、シベリアにいたときは描く紙がないから、心に絵を描くみたいにしてヤギを見ていたんです。 いや、目の前にして言うのはなんですが、何度見ても飽きないものをつくるのは難しいことです。特に気品あるものを作るというのは――。(安野) 僕はいつも思うんですよ。隣人への憐れみがない芸術は嘘ですよ。<中略>気品のないもの、隣人へのいたわりのないものから本物の芸術は生まれてこない。芸術だけではないのですが。 (山根 いずれにせよ作品にまとめるとか、彫刻に生かそうということで、お二人はデッサンをなさるわけですよね) まあそうですが。彫刻に生かそうというか、何か栄養を蓄積するようなことなんですよ。<中略> 素描