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車間をあけないのはなぜだろう

普通自動車運転免許をとって半年でしかないけど、車間距離を充分あけない車の多さが気になってしかたない。

運転席から隣や反対の車線を見てのことだから、実際より短く見てしまっている傾向はあるけど、それを考慮しても、必要充分な車間距離をあけている車は半分もないくらいじゃないかと思ってしまう。詰める、煽る、というほど寄るのは1割もいない感じだけど、例えば40km/h道で実際45〜50km/hだしているとき、せいぜい25mしか開けない車はたくさんいる(本来30〜35mは必要)。なんとなく開いてればいいもんじゃない、停止距離に1mでも足りなかったら意味ない(追突しうる)、と、わかっているのだろうか。いやまあ止まる最後の1mが足りないくらいならものすごい被害にはならないかもしれないけど、だからってその1m縮める価値はない。
それに、計算上の停止距離は、前方不注意とか焦ってブレーキングの失敗とかブレーキ不調とかタイヤ摩耗とか下り坂とか雨とかは織り込んでないんだから、むしろそれ以上に開けないと危ないものなのに。

どうして充分に開けないのか、想像してみた:
  自覚して・・・
      (1)前車にスピードを上げさせたいのでプレッシャーをかける
      (2)割り込まれるのが不愉快または怖いので
      (3)少しでも前に行きたい
      (4)こんなところで事故は起こらないから開けても無駄
      (5)この車の性能なら、自分の腕前なら、短くても止まれる
      (6)親切のつもり(つめてあげないと後ろに悪い)
  無自覚に・・・
      (7)停止距離というもの、その長さを覚えていない
      (8)距離の目測がちゃんとできない
      (9)停止距離を考える心や技術の余裕がない
      (10)周りに合わせただけ
      (11)何も考えていない

うーん、どれであっても、そういう人に運転してほしくない、、、。

例えば30m必要な車間を20mに縮めても(同じ車の後をついていくとして)目的地につく早さは10m分しか縮まらない。全部の車が詰めればだいぶ違う?いや、車間を充分開けないとブレーキの連鎖が増えて却って渋滞することが実験で確かめられている。
車間があいてないと、前方の様子が見えなくて危険で疲れるし、前の車がスピード落とすたびに急いで対応しなきゃならないし、加減速の繰り返しで燃費は悪いし、前車の運転手の気が散ったり機嫌が悪くなるのも事故の危険を高めるし、なんにもいいことない。
詰めるメリットがあるなら、滅多になかろう事故のリスクと天秤にかけて、、、というのも、賛成はできないけど、まあ理屈ではあろうと思う。けど、いいことないんだから。

掲示板で「あなたが速度を一定に保たないせいでつまるんでしょ」という人を結構見かけるけど、それも寝言としか思えない。車間距離を速度に優先させれば、つまり、開いてる距離で止まれる速度までしか出さないと決めていれば、前車がいくら不安定に走ろうが、それに応じて距離をとるのは簡単なこと。ていうかそんな車につきあって加減速したくないから、最初から遠巻きに走る。

ひとつ改善できるのは、教習所でもっとちゃんと停止距離を教えることだろう。私の通ったところでは、座学で教科書を見て、「〜60km/hは時速マイナス15、それ以上は時速を目安に」と言われた、だけ。30mの車間、40m、50m、、、を実地に見せること、ハッとして全力で止まる体験とその間走った距離の確認、追突や衝突のシミュレータ訓練、くらいは必要だと思う。教習生にそれを学ぶ余裕がないなら(なかったなあ)、初心者マークを外すための教習と試験をいれればいい。それを通らなければ何年経とうが初心者マークでいい。

自動車に、前車との距離が充分でなければ警告する仕組みをつけることだって可能なはずだ。

車間距離不保持を取り締まる方向に進んでいるらしいのは良い。加えてこういう対策も行われてほしい。

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