午前中はコンビニおやつと図書館という道楽にふけってしまった。
午後やっと畑。大根間引き、玉ねぎ播種、春菊播種など。徒長させてしまった白菜の鉢上げと、ダメもとで再びの種まきを帰ってするつもりだったけど、やっぱり難しい(フミさん対応とかで)。日の落ちるの早くなったし。
風邪の夫は早めに帰宅、といっても7時。
保育園で目玉焼きのお代わりをねだって他の子の残りを「あれ食べる」「あれは○○ちゃんのだよ」「じゃあフミちゃんの卵おかわりする」「お代わりはないんだよ」のエンドレスループで粘ったらしい。
ほかにも遊びを切り上げて保育園にいくこと、歯磨きすること、車に乗ることなど、その気になるまで粘り強く反論してくる。強権発動すればいいのか?それほどのこととこちらも思えなかったり、強引にすすめた後がやっかいだったり、で待ってしまう。
「キライなの」が常套句に浮上した。食べたくない野菜、歯磨き、寝る、車に乗る、など、その時その時の対象がある。しかしこれは「キライでもやらなきゃいけないことってあるんだよ」と言えば済むので気が楽(事態が進展するわけじゃないが)。
『モンスター』で繰り返されるフレーズ「人間はね、、、何にでもなれるんだよ」を思い出すたび、慣れるのほうが的確だろ、と思う。読みはじめた『死の家の記録』に「人間はどんなことにでも慣れられる存在だ。わたしはこれが人間のもっとも適切な定義だと思う。」を見て嬉しい。
『故郷忘れじがたく候』と読んで、しばらく後に「忘れがたく」では?「じ」を挟む用法があるの?と検索してしまったがそもそも『忘(ぼう)じがたく』だった。しかし検索候補に「忘れがたく」「忘れじがたく」「忘じがたく」揃ってでてくるから、ありがちな空目であるらしい。
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