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書けることと書けないことがあるんだね

ようやくわかってきた。
書きたいことのうちに、自分の技量によって書けることと書けないことがあるんだね。
歌える曲と歌えない曲があり、作れる料理と作れない料理があるように。
言葉にすれば当たり前か。でもこれまでは何かが書けない、イコール、自分は書く能力がない、とぼんやり思い込んでいたみたい。

そうじゃなくて、いま書けることを書き続けて、精進していけば、いまは書きたくても手に余ることが、いつか書けるかもしれない、と思えたのが、やっと今だよ。
そう気づくと、これはもう続けるしかないんだな、下手でもなんでも。



ここでまたアート・ガーファンクル。
Kathy Geary interview - 8-25-2012から、1989年に出版した散文詩集「Still Water」について。
私にとっては大事なことだよ。このときから、自分の頭をコントロールして、考えをしっかり着地させられるようになったわけだから。自分の人生について考えたことを。さあ、ベストを尽くして、堂々と知的であろう。これが今のベストだ。僕の知性ではここまで。馬鹿なのはわかってる。限りがある、この知性には。でもそれで行けるところまで信じていこう。それが僕の80年代だった。

This is key for me Kathy, because at this point I'm taking control of my brain and my feet on the ground. This is my life is(?) on my thoughts. Now I'm taking my best shot in my desire to be unapologeticaly intelligent. This is my best shot as far as. This is where my intelligence takes me. I know I'm a fool, I know it's limited, this intelligence. But I'm gonna believe in it as far as it goes. That's what '80s was for me.

こういう恐れない率直さがほんと好き。強い人だ。

(この率直さに恐れをなす、またはこのような率直さはありえない、見せかけに過ぎない、と思うひとが、アートを叩いてる気がしてならない。本心からの言葉でないと仮定したら、一気にグロテスクな印象になるものね。)

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