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中耳炎、風邪、農業祭、ナメクジ

おんちゃん中耳炎。先週末から風邪?で、火曜日には熱が出て、耳もちょいちょい痛そうで、でも病院に行くほどか・・・?と思っていたら、金曜夜に突然泣き出して泣き止まず。#8000 に電話しちゃった。家でできるのは耳を冷やすこと、と聞いて冷えピタし、寝たり泣いたりしつつ明け方には落ち着いた。
起きてきたらもう元気だった。ご飯もまあ食べる。てっちゃん婆ちゃんにもらった「たこ焼き」スナックが気に入ったらしく、袋を抱えて悠揚として迫らざる食べっぷり。

(お)もい、あっつぃ、くりゃい、おちた!、あった! が語彙に加わった。不思議な言語の発達。

先生いわくふみちゃんは「食欲がない」と。おかわりしなかったから。風邪だね…。


月曜でかけてから日曜昼まで、ついに6泊7日の夫不在。やれやれ。そろそろ気づいてほしい、労働時間の問題じゃないと、会社に泊まり込んで一日24時間仕事してもこの状況は改善しないと。5時間あれば7時間分、7時間あれば9時間分の予定を入れちゃうのをやめない限りどうにもなりません。というか経験上こうなるタイプのひとは自分の作業はちゃんと見えてるんだけど、ほかから飛び込む量を決定的に少なく見積もりすぎるんだよ。飛び込み割り込みがあるんだから、自分の計画は自分の思う半分にして、それでも溢れるなら3分の1にしないとだめなんだよ。あとは、飛び込み割り込みをできるだけ、ルーティンとして時間枠をあてること。さらにできれば他の人に担当してもらうこと。
いまの本が終わったら、まじめに話し合いましょう。疲弊してほしくないし子どもも寂しがってるのでね。

日曜昼に本川越で子どもを引渡し、3人はお爺ちゃんちへ。私は農業祭の準備へ。
農業祭には水菜と山東菜計40パック。祭予算で買い上げてもらえるので助かる。
しかし普段10パック位しか作らないので、40パックできるか心配だった。せっかく子どもいないから、と通常出荷分も多めに、せっかくだから両実家にも、と欲張ったら6時から12時ちかくまでかかった。
まず家でやるのに無理がある。狭いからいちいち物を移動するし、泥と虫とハネモノの始末が厄介だし。おまけに田んぼのトンネル内にナメクジが大発生してしまい、そいつらとフンの掃除に手間がかかり…水耕栽培の合理性がよくわかった。
ナメクジ発生は雨のせいか。水はけ悪いところは、だから高畝で、ということらしい。ビールで誘引できるかなあ。
でもまあ子どもがいなければ50パックやそこらはいける。作業所が畑の近くにあればもう少し。

サツマイモ後にやっと小麦まいた。まきながら、塩水選と温湯消毒わすれたことに気がついた。次回忘れませんように。
サツマイモの葉をどけるのがダルくて、枯れるのを期待しつつ、合間に蒔けばと思ってたけど、結局枯れず、邪魔すぎて引きずり出した。


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