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ついにフルコーラスの Bridge Over Troubled Water - 11.08.2015

アート・ガーファンクルが、声の不調から復帰した2013年末からは、一番だけを「ショーは終わり、ここからはワークショップ(笑)」と断って歌ってきた Bridge Over Troubled Water.
2015年11月8日、ロサンゼルスのコンサート・ホール The Wiltern でのコンサートで、ついにフルコーラス歌われた!めでたい!



2009年の声に戻ったわけじゃない。メロディも一部歌いやすく変えてある(その分飽きさせない工夫をして)。声はやわらかく、時にハラハラさせられる。でも、そこここで、驚くほど深く豊かな響きが聴き手の心を射抜く。
若いアートの声は徹頭徹尾ピッカピカに澄んでいた。いまは暖かいそよ風が吹く星空みたいだ。Quiet Nights of Quiet Stars.「夜はやさし」って良い言葉だよね(ストーリーを知らずに言ってます)。

復帰後のブートレグ、正直2014年までのは聴いててちょっと辛かった。でも日を追って良くなっているのは明らかだった。2015年3月あたりで、もう普通にショーが成立してるなと思った。

そして2015年9月、イギリスでのコンサート。


もうこれは回復じゃない。新境地だ。いまある声がもっとも活きるように、丁寧に、しかし自由に軽やかに遊ぶように喜びに満ちて歌う。晩年なんて言葉はまだまだ元気で続けてほしいアートに使いたくないけど、晩年の志ん生、ピカソ、田中一村が得た美しい自由さに、アートも到達したと思う。素晴らしい。

そのあとすぐ、カーネギー・ホールでのコンサートがあって、めでたい、けど、こうなるとファンも応援モードより欲がでちゃう、大丈夫かな、と失礼なことを思ったりした。
もちろん心配するまでもなく大丈夫だった。この道50年のスーパー・プロフェッショナルですもの。

同じ11月8日のスカボロー・フェア。ブリッジ以上にいまの声が映えて美しい。




* 嬉しさのあまり「ついに」と書いちゃったけど、実際11月8日がはじめてかは知らない。YouTubeで知る限りにおいて、という・・・そう言うと身も蓋もないな。
* YouTube 等のダウンロード、シェア行為は盗みだと非難しているアートには申し訳ないが、各地のコンサートが定期的にアップロードされてありがたい。世界中のファンが喜びを分ちあいたいと思っているからですよ、アート。販売予定のないライブ録音なら罪は軽いと言えますでしょうか・・・。


追記:
レビュー記事 によると、Tab Laven のギターに、Clifford Carter のキーボードが加わったんですね。これもまた一段、フルセットへ近づいたということで嬉しいニュース。
Clifford Carter は2006年からアートのバンド・メンバーになったと 彼のWebサイト に書いてありました。この動画(2007年)でもピアノを弾いている。また一緒に演奏できてよかったなあ。
(左から) Clint de Ganon (ドラム), Tab Laven (ギター),
Art Garfunkel, Clifford Carter (ピアノ), and Ted Baker(シンセサイザー)
2006年のバンド

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