2016/8/2-8/3読了
良い先生の発する言葉づかいの、柔らかくもくっきり伝わる力は、何によるものなんだろうか。アラン、松田道夫、中井久夫、内田百閒、ワインバーグ、に加わる、私の好きな先生がまたひとり増えた。
先日参加した会議でも教職にある(あった)方の話しぶりは、理路整然としつつ、ねぎらいや配慮が行き届いて受け取りやすいもので、見習いたいと思った。
フミちゃんの学習を家でと思っているけれど、ここに言われているような工夫と情熱と覚悟をもって取り組めるだろうか、反省しつつ頑張りたい。この先生ほどに深く考えて向き合ってくれる先生がいるなら、ぜひ学校に行ってほしいけれど。
良い先生の発する言葉づかいの、柔らかくもくっきり伝わる力は、何によるものなんだろうか。アラン、松田道夫、中井久夫、内田百閒、ワインバーグ、に加わる、私の好きな先生がまたひとり増えた。
先日参加した会議でも教職にある(あった)方の話しぶりは、理路整然としつつ、ねぎらいや配慮が行き届いて受け取りやすいもので、見習いたいと思った。
フミちゃんの学習を家でと思っているけれど、ここに言われているような工夫と情熱と覚悟をもって取り組めるだろうか、反省しつつ頑張りたい。この先生ほどに深く考えて向き合ってくれる先生がいるなら、ぜひ学校に行ってほしいけれど。
なぜ、研究をしない教師は「先生」と思わないかと申しますと、子どもというのは、「身の程知らずに伸びたい人」のことだと思うからです。いくつであても、伸びたくて伸びたくて……、学力もなくて、頭も悪くてという人も、伸びたいという精神においては、同じだと思います。一歩でも前進したくてたまらないのです。そして、力をつけたくて、希望に燃えている、その塊が子どもなのです。勉強するその苦しみと喜びのただなかに生きているのが子どもたちなのです。研究している教師はその子どもたちと同じ世界にいます。p. 27-28
最初に本をあけて、感動をもって読む第一読は、学校で感動をもってなされるべきではないでしょうか p. 42
ほとんどの人は、天才なんかではありません。教師の教えを心から待っているのです。子どもですから、口に出して言わないだけの話です。・・・書き出しを少し書いて見せたらどうですか。少し「なになに……」と書いて、「その先を書いてごらん」と、そう書いてやればいいのに。・・・例えば「その木は何の木でしたか」とその横に書いてやっていいのではないかと思います。・・・これを「書くことを教える」というのです。p. 51
ですから、子どもはほとんど全部教師よりずっとすぐれていると思って間違いなしです。そういう敬意といいますか、尊敬を心から持って、この宝物を大切にしたいと思います。年が小さくて子どもっぽいのに気がゆるんで、言葉が乱れたり、態度が乱れたりすることはこわいことだと思います。p. 68
ですから百通りの教材ができたわけです。翌日それを持って教室へ出ました。そして、子どもを一人ずつつかまえては、「これはこうやるのよ、こっちはこんなふうにしてごらん」と、一つずつわたしていったのです。
すると、これはまたどうでしょう、教材をもらった子どもから、食いつくように勉強し始めたのです。私はほんとうに驚いてしまいました。そして、彼等はほんとうに「いかに伸びたかったか」ということ、「いかに何かを求めていたか」ということ・・・それがない時には子どもは「犬ころ」みたいになることがわかりました。・・・そして、人間の尊さ、求める心の尊さを思い、それを生かすことができないのは全く教師の力の不足にすぎないのだ、ということがよくわかりました。・・・子どもの方は常によきものを求めてやまないものなんだ、それが「少年」なんだということも、私はその体験からはっきりとわかりました。p.75-77
結局はきびしい世の中に、たった一人で生きていかなければならないのです。その将来、何十年か先をじっと見通して、子ども時代の今日この日に、しなければならないことがあるのです。ぜひとも鍛えなければならないことがあるのです。五歳なら五歳、六才なら六歳の、その時にしなければ、取り返しのつかない仕事というものがあります。かわいい子どもにまつわられながらも、それを冷静に見つめ、来たるべき日に備えて、何事か、今日手をうたなければならないというふうに思います。p. 94
まず、「一生懸命なさい」とか、「書き慣れなさい」とか、そういう指示だけすることば、子どもに指図する、命令する、そういったようなことは、あまり先生の言うことばとして価値あることばではないのではないか。・・・言ってもやらない人にやらせることが、こちらの技術なのですから。p. 112
ここで例を出してみましょう。まず、子どもに聞かせる話を考えます。内容を適当なところ三か所ぐらいで切っておいて、子どもには三つのわくをとった紙を配っておきます。
「これからお話しますから……」――話をしてあげるとなりますと、子どもたちはみな一様に喜びます。・・・なんの話かも知らずに、知らないままに、とにかくなまの話というのはうれしいことのようです。「話しを途中で切ったら、その時に心に浮かんでいることを書きなさい。どういうふうにでもよいから。・・・どんな話を、どんなところで切って話すか、そこが教師の腕前です。必ず思うことがあるという話でないと教材になりません。また、書くことがあふれ出てくるような、うまいところで切らなければだめです。p. 114
ある一つの視点をおくということを知ったと思うのです。深く考えて、旅行中に感動を得たことをいくつかまとめて、そこに自分の発見を書く。いわゆるどうしたとか、見たこと、聞いたことだけ書いていないで、何かみずから生み出したものを書けということです。けれども、そんなこと言ったら子どもは何も書けなくなると思います。自分がそういう話を聞かせているうちに、子どもは思いだしたり、自分の感想をもったり、それからちょっと考えを深められたり、見方を教えられたりして、こちらのさせたいことを、ひとりでにしていくことになるでしょう。p. 133
私は、どの単元でも学習記録を書かせていますが、それを単元ごとにまとめて仕上げる時、目次をつけさせます。この目次を作る作業の一つのねらいは、文章の構成の力をつけることです。今までやってきたことを全部カードに書いて分類し、内容の種類や軽い重いを考えて位置づけて、・・・まず、育てたい基本になるところの頭の働きは、どんなことかをとらえ、そのような頭の働きをさせる仕事はないか、というふうに考えていきますと・・・p. 14
中学校というところは、これは大人になる学校です。小学校は子どもの学校、中学校は今は子どもですけれど、大人になる学校です。何か違いがあるのでなかったら、小学校を卒業して、中学校に入学し直さなくても、小学校に九年間いればよいわけです。中学校は大人になる学校、したがって、大人になっておかしなことは、全部やめてもらうところです。三年間のうちに一人前の大人としておかしくないことを身につけるところなのです。p. 147
仏様があるとき、道端に立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。そのとき、仏様は、しばらく男の様子を見ていらしたが、ちょっと指でその車にお触れになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった」という話です。「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」p. 156
幸田文さんの書かれた随筆に・・・お嬢さんが長い間、お母さんだけに育てていただいたことを心から感謝なさいました。そのとき、幸田さんは「そんなにお礼を言わなくてもいいので、それは、何かしてあげたかもしれないけれど、それが私の生きがいであった。あなたを世話し、あなたを愛し、あなたのために心配し、色々してあげることが私の生活そのものであったし、生きがいであった。それでじゅうぶんむくいられたのであって、私に恩義のようなものを感じることはない」とおっしゃったというのです。p. 158
(国際児童年に行った「知ろう、世界の子どもたちを」という単元学習について)発表会は六回にわたりました。どこどこの国の子供はこんな風だと、一人ずつの発表形式ばかりにもっていきませんで、劇にしたり、対談にしたり、日記体にしたり、ほんとうにさまざまで、豊かな形にしました。自分なりに力いっぱい尽くしたことは同じですけれども、読み上げたものの数は違っています。
しかし、そこには、人と比べるというような、さもしい姿になる隙間がありませんでした。そういう、劣等感が出てきたり、優越感がわいたりして、教室を修羅場にしてしまう、成長ということから、――自分を伸ばすということからほど遠い、魅力なんかからはますます遠い、そういう雰囲気になるというのは、一つのゆるみだと思います。・・・ほんとうに、おもしろいことを、一生懸命やっている、その心の中に、人と比べる隙間はないと思います。 ・・・また、いわゆる一つの教材だけですすめるのとはたいへん違った、生活的な張り詰めたものがあります。助け合いもあり、奮い立たせるものもあり、反省するものもあり、学ぶ人の好ましい生活の姿がある、と私は思います。p. 189-190
「単元学習でも入学試験とおりますか?」といったような質問に、私はたびたびあっています。入学試験はおろか、非常に優れた国語の力をつけようと思って、単元学習をやっているのです。単元学習は何も、私の趣味でもなければ、ただ、生徒が喜ぶからでもありません。一人一人を卓越した言語生活者にと目指す時、そうでない方法ではその力はつけられないからです。教科書を端からやっていては、間に合わなかったということです。
・・・ある子どもたちは、その子どもが前から持っていたありあわせの力でも結構こなせるのです。優れた子ですと、何も努力しなくても、何かやれるものなのです。そういう姿を見て、もっとやりたいことを思いついて、「よし!」と立ち上がってやっていく、そういうふうにさせられなければ、私は単元学習というものの命はないと思います。p. 194
文学作品に求めれば、とはすぐ思いつくことですが、ちょっと考えるとありそうでいて、なかなか同じ情景、同じ心もちを書いた作品はないものです。また、程度が高すぎます。それに心情などを表現したものですと、つきつめて細かく考えていっているうちに、子どもたちのだれかのどんな場合かの気持ちに触れることになったりします。その子どもに全く関係なく話されている言葉が、いろいろ言っているうちに、偶然、思い当たることがあり、ずきんと、あるいは、ちくりと胸を刺してしまうことがあります。
そこへいきますと、花火は安全です。 p. 202
同じ教材を私が使わなかったとか、そういう話はあります。けれども同じ教材を使うからいけないというふうに思っているわけではありません。ただ、同じ教材を私自身が、使いたくなかったから使わなかったのです。つまり、初めての教材、一生懸命用意した教材を読みあげ準備をととのえて、さっき言ったような、たくさんの案を胸にもって、いつでもだれにでも、私のふところからいい学習をあげますという覚悟で、教室に行って、授業になります。その教室に行く喜びといいますか、喜びというとちょっと派手ですけれども、ほんとうに、心の踊るうれしいものがあります。その味を覚えてしまいますと、初めてでないものを、それと同じ感動をもって持っていくことが、私にはできなかったのです。・・・
それに非常にいい学習ができた場合というのは、そういくつもありません。私が玉のようにしている単元があります。そういうのは、逆にもったいないので、もういっぺんしません。今度、もし、うまくいかなかったりしたら、私の思い出は壊れてしまいますから。玉のようなものですから、もったいなくて大事にしておりました。そういうことや何かで、ついつい二度しないということになったのです。
教科書も別に軽んじたりしているわけではなくて、今、お話ししましたように、ひとりひとりにそれぞれの材料をと考えていきますと、どうしても、教科書だけでは足りなかったのです。・・・ただし、全然捨てたわけではなくて、普通と違う方法で、だいたい、一年間に、三べんぐらいは、全巻を読んでいました。p. 215
自分のやった仕事のいいところ――これはうまくいったというのを、書き残しておく。これは仕事に対する愛情ではないでしょうか、愛着のようなものです。自分の仕事がとてもかわいくなって、そしてやっぱり腕前の上がることではないかと思います。
みなさんも何かうまくいったこと、うまい発言ができたり、うまい指導ができたりすることがあるでしょう、教室のなかで、ぱっと。それをすばやく書きとめておいて、自分の宝になさるとよいと思います。それはびっくりするような自分の栄養になるものです。
今見ますと、下手な幼い字で、まあよくもこんなにていねいに書いていると思います。今なら頼まれても書けません、生徒に書いた批評を写しておくなんていうことは。・・・
そういう仕事への愛着というか、これを書き残しておいたことを、自分では限りなくうれしく思っています。今みてもたいへん勉強になります。「はは、そのころはこういうことをいいと思ったのか」と。自分の仕事を大切にして、愛情をもって、ちょっとのひまに書きとめておく。それはただ我が身のためであって、発表するとか、そんなことも思わずに自然にしていたことです。当時は何も考えてはいませんでしたし、何も知りませんでした。若い先生でした。ただ自分のしていることが自分としてうまくできて、自分が自分でうれしかったのだと思います。p. 225
ですから自分の仕事を愛して、自分の足跡を愛して、それをちょっとでも残しておけば、育てようとしなくても、そんなにまで仕事を愛している人は、どこか育ってくるのではないでしょうか。・・・みなさんも書いておかれたら、ずっとたってから、何の役に立たなくても、そのころの自分が生きていたこと、一生懸命生きていたことがわかってよかったなあ、とお思いになるのではないでしょうか。そういう思いは教師でなくても、大変幸せなものではないかと思います。p. 230
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