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草刈り、図書館、台風

夕方から激しい雨というのを期待してた台風は、深夜2時までそれほどでもなく推移しているので、昼間は結局暑かった。晴れからだんだん雨雲が一面に広がる今日の空は面白かった。そうでなくても、土から顔をあげるたび景色は変化している。野外仕事の爽快さのひとつ。

畑の草刈、サツマイモの草取り、道路の草刈り。井戸の畑が面している道路の反対側はほぼ草刈りする人がいない。葛と篠竹で2か所の交差点が危険なほど見通し悪くなってしまったので、私の領分では全然ないけど勝手に刈り払ったら、葛の葉に隠れ、道路の端から木が伸び始めていた。日本の自然はすごく元気で、刈り払いと落ち葉掃きをしていかなければ、1年2年ですぐ降り積もった枯葉が土になるみたいだ。そして土が1cmもできれば木が生えてくる。桑、楮、庭漆、こういう木々をなんと呼ぶんだろう、発芽がよくて1年ですぐ伸びて切られても切られても枯れない、逞しい、畑から言わせればお行儀悪い木々。

暴風雨になったらオンちゃんは怖がるだろうし、車の乗り降りでずぶぬれも嫌だ、と早めに迎えにいったんだけど「ちゅーいのごほん」が借りられないことに納得しないオンちゃんを図書館へ連れていかざるをえず(もう数日「ちゅーいのごほんが借りたいの」と言い続けていたから)、結局雨には間に合わなかった(でも止んだ)。残念ながら『がんばれパトカー』は図書館でも貸出し中だった。

帰って、パトカーの紙芝居、『おはなしよんで、アンニパンニ!』『ウミガメものがたり』『だるまちゃんとかみなりちゃん』『ホリーの夢』『ポンポンおふね』『ブーンブーンひこうき』『たんたんタグボート』、『なぞなぞみせ』一気に読んで疲れた・・・そういえば最近あまり読む時間とれてなかったな。

ふみちゃんが『ポンポンおふね』の絵を模写しつつ、その下に「お話を書いてるの」といったので見てみると
 まいましでしっぱゅしはねふとるすたしまてしおねるき←で←エうのねふがこねこ
 (子猫がお舟の上で昼寝をしてましたすると船は出発してしまいま(した))
と書いてあった。る、し、す、が反転しがちなのも含めて大変力作で可愛い。昨日は『はたらくくるま』の見開き大集合シーンをずいぶん細かいところまで描いていたし、色もはみ出さずに塗れるし、また画力が一段アップした感じ。

オンちゃんは「しんかんせん描くの。えんぴちゅがいいのー」と言いつつ、いざ本を開くと「おかあしゃん、描いて。つぎこれ描いて」とどんどんページをめくってしまうの、フミちゃんも引っ越してきた頃そんなで、今のオンちゃんと同じ2歳半だった。

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