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出国2日前(2009/03/13)

晴れだけど寒い。と毎日書いてる。夜更けは嵐。

数年前に同じお客様の仕事をして知り合った方と板橋へ。
Round1のスポッチャというのに誘ってもらって行ってきました。バッティング、ゴルフ打ちっ放し、アーチェリー、バドミントン、テニスなどの設備が(多少ミニチュアですが)あって、時間制で好きに遊べるというもの。平日昼間でも、並ばないけど空きは無い、くらい。小中高校生に混じって大人は私達だけだったような。休日は家族連れで混みそう。1ゲーム幾らで考えなくて済むし、「バッティングセンター」「ビリヤード場」と限定では誘いにくい同士も気軽に行けるんじゃないでしょうか。
池袋に移動して食事と喫茶と。システム化の功罪、使い方次第とは言えそれが難しい、ともあれ多様性は良いことだろう、それぞれ共存できれば、しかしまずは直接関わってる人達(開発者やクライアント)がアンハッピーなのはどうにかしたい。といった話。イエローストーン国立公園、メキシコ料理、カリフォルニアワインの話。流れに逆らって何かするというのは大変なことで、折り合っていく方法を考えるほうが良いと思いますよ。とかとか。

今日の痛恨は、待ち合わせに1時間近く遅れてしまったこと。そもそも支度に手間取ったうえに、新宿で中央線から山手線(池袋方面)に乗り換えるのに、総武線下りに乗ってしまい、気づいたら中野だったという。
帰りは新宿で総武線に乗り換えたら上りだったという。千駄ヶ谷で気づきました。


『太陽の街』トーベ・ヤンソン
大事件は(客観的には)起こらないけど、登場人物のそれぞれには何かしらが起きて、各人の姿がだんだんに見えてきました。それが魅力の一つなのでしょうか。現実で知り合っていく速度感覚に近いように思います。

『幸福論』アラン
読むべき本に読むべきときに出会えた気持ちが日々強くなりながら読み終わりました。
この岩波文庫、神谷幹夫訳はかなり新しい訳(1998年)でした。それも読み易さにつながっているかもしれません。訳者あとがき「すでに八種類の日本語訳がある」とは。自分に聞こえた口調で訳したくなるんでしょうね。「手稿をながめていると、アランがうしろから現れ、ほほ笑みながら話しかけてくるような思いに何度もとらわれた。」その感覚は読んでいてもありました。

ほら、よく見たまえ、よく聴きたまえ。死者たちは生きようと欲しているのだ。君の中で生きようと欲しているのだ。君の生を通して、自分の欲したものが豊かに展開されることを望んでいるのである。

もし君に友人がいたら、そして友人が、何事につけてもつらそうに不満を言っていたら、君はおそらく、彼をなだめようとし、世界をもう一つの見方でとらえる方法を教えようとするだろう。では、どうして君は、自分自身に対してもかけがえのない友となってやらないのか。もちろん、ぼくは真面目に言っている。もう少し自分を好きになってやったら、自分と仲良くしてやったらどうか、と。

 最初の衝動にかられている人間、すなわち思い浮かんだことを何でも言ってしまう人間、最初の感情に夢中になる人間、自分が何を経験しているのか気づかないうちから、遠慮会釈なく驚きや嫌悪感や楽しさを示してしまう人間、そういう人間は無作法な人間である。こういう人間はいつも言い訳をいっていなければならないであろう。なぜなら、そんなつもりはないのに、己が意に反して、他の人たちの心を乱し、心配させるからである。
 軽率なおしゃべりがもとで、思いがけず誰かを傷つけてしまうのはつらいことである。礼儀作法をわきまえた人間とは、害が救いがたいようにならないうちに、気まずさを感じ、品良く話を逸らす人間のことである。しかし、言うべきことと、言ってはならないこととをあらかじめ察するようになり、そして確信が持てないときは、その家の主人に話の方向を一任してしまうようになると、そこには更に豊かな礼儀作法があるといえる。これらはすべて、思いがけず誰かを傷つけることがないようにするためである。なぜなら、そういう人が危険な人物をちょうどいいところで怒らせる必要があると判断したならば、彼はそれをやってよいのだから。

ぼくの考えている礼儀作法とはそういうものなのだ。つまり荒ぶる情念をなだめる体操なのだ。礼儀作法をわきまえるというのは、すべての身ぶりを通して、すべての言葉をつくして、「いらいらしないように。われわれに与えられたこの人生のこの瞬間を台なしにしないように」と示すこと、言うことである。

幸福になりたいと思って、そのための努力をしなければならない。...反対に、上機嫌というのは実に気前のいい奴なのだ。...なるほど、われわれは他人の幸福を考えねばならない。その通りだ。しかし、われわれが自分を愛する人たちのためになすことができる最善のことは、自分が幸福になることである。このことに人はまだあまり気づいていない。

ぼくの言いたいのは、不幸に直接見舞われたとき幸福になる方法ではない。そんなものはストア派にまかせる。まあまあ何とかやって行けて、人生の苦しみといったところで、精々、ちょっとした退屈さや、ちょっとした厄介さだけのときに幸福になる方法である。

幸福になるのは、いつだってむずかしいことなのだ。多くの出来事を乗り越えねばならない。大勢の敵と戦わねばならない。負けることだってある。乗り越えることのできない出来事や、ストア派の弟子などの手に負えない不幸が絶対ある。しかし力いっぱい戦った後でなければ負けたと言うな。これはおそらく至上命令である。幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない。


礼儀正しくすること、がんばろうと思いました。
幸福になろうと欲することには自信があるけど、さらに安定した強さを磨きますよ。

『小さな雑誌で町づくり』森まゆみ
”これは地域雑誌『地域雑誌・谷中・根津・千駄木』の、ちょっと早すぎる自叙伝です。”
立ち上げから初期の苦労、喜び、出会い、日々の実際。聞き書きがしたい身としても、チーム活動に取り組みたい身としても参考になりました。
このように、瑣末と見える事柄や、過ぎたときの気持ちを、キレイなモノガタリにしないで残せる技術(?才能?)を、私も身に付けたいです。と思って手始めに日記を書いているわけですが。
作者に見覚えあると思ったら『自主独立農民という仕事』が本棚にありました。これも素晴しい本。紹介されている木次(きすぎ)乳業の佐藤忠吉さんがまず大変に魅力的な人であって、伝える文章も暖かい(熱過ぎず冷た過ぎず)。

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