今日も晴れたけど寒い。
残りのトマトソースと野菜でスパゲティ。
洗濯、図書館、ねじめで千代紙買ってぽち袋を作ってみた。使うことがあるかどうか。
『幸福論』アラン
新聞に毎日、足掛け35年、書き続けた断章から、幸福に関するものを集めた本。
読みやすく、いきいきとして、豊かな印象を残す文章。うまいなあ。
残りのトマトソースと野菜でスパゲティ。
洗濯、図書館、ねじめで千代紙買ってぽち袋を作ってみた。使うことがあるかどうか。
『幸福論』アラン
新聞に毎日、足掛け35年、書き続けた断章から、幸福に関するものを集めた本。
読みやすく、いきいきとして、豊かな印象を残す文章。うまいなあ。
われわれの同胞はわれわれに対して大いなる力を有している。ただ彼らがいるというだけで、...おそろしい怪我を見ると、見た人の顔が変わる。...どんなに立派に記述されていても、この衝撃を受けた顔ほどには人の心を動かさない。顔は表現のタッチが直裁で、迫真力があるのだ。
事実というものには、それがどんなに悪いことであろうとも、益となる一点がある。可能性のゲームを終わりにし、もう期待するものはない。
老いた人間というのは、老いを苦しんでいる若者ではない。死んだ人間とは、死んでいる生者ではない。
人間には勇気がある。たまたまそうだというのではなく、本質においてそうだ。行動することはあえてやることなのだ。考えることはあえてやることなのだ。危険はどこにでもある。そんなことで人間はたじろぎはしない。
こういうお辞儀をしたりほほ笑んだりするしぐさは、まったく反対の動き、つまり激怒、不信、憂鬱を不可能にしてしまうという利点があるだから社交生活や訪問や儀式やお祝いがいつも好まれるのである。それは幸福を演じてみるチャンスなのだ。
いわゆるどうにもならないことをあきらめることよりも、ヴァイオリンを取って演奏する方が早道である。
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