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2013/04/15

研修2日目。暑い。土焼き担当は大変だ。

今日の作業;
・ハウスの水撒き
・ほうれん草の収穫
・コブ高菜の収穫
  ~休憩~
・ハウスの水撒き
・防虫ネット張り
  ~昼食・休憩~
・ズッキーニ定植

収穫作業の速さが3倍くらい違う。どこかで読んだ職人談話「新米の作業が遅くても、いずれ速くなる。焦って雑な仕事の癖がついたら直らない」を拠りどころにしている。

コブ高菜・・・コブに特別な味があるわけではないようだ。高菜なのに生食できる、シャキシャキ甘い、ということか。

葉物、トンネルに防虫ネットをかけ、端に土をかぶせる。もくもくと鍬つかってると、屈めた腰とか太ももとか肩とかじんわり辛い。筋トレになってるな、しめしめ、と思うことにする。

畑が20箇所くらい別れてあり、頭を悩ませたと思われる名前がついている。食事の場所においてある絵地図で覚えよう。

前職に疲れて農を志した30代仲間が研修生に(少なくとも)2人いるとわかった。だから何ってことじゃないはずだけど、やっぱり少しほっとする。

ズッキーニは草丈30cmほどまで大きくなったのを定植。乾いてるのでポットごと水に浸ける。黒マルチの畝に1条・株間1m。緑の実がなるゼルダと黄色の実がなるオーラム、後者が花粉をよく出すので混植するそうだ。
すでに植えた畝、パオパオ2重さらに夜は穴あきビニールと厳重に保温しているけど、べたがけに押されたか茎が折れて枯れてしまった株を植え替え。べたがけを止め、トンネルにする。

4畝のうち1畝片付いたところで時間切れ、まいど中途半端で申し訳ないけど帰らせてもらう。

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朝家をでるときから「保育園行かないのぉ~!おかあちゃんと手ってつないでお散歩するの~」と言い保育園でしがみついて泣いたフミさんだけど、その後は元気に過ごせたらしい。ちょっと虚ろな表情だったけど、帰って夕ご飯(カレー、ほうれん草スープ、じゃがいも、野菜・豆腐炒め)モリモリ食べた。

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