スキップしてメイン コンテンツに移動

2013/04/23

晴れ、春らしい暖かい日。作業していると合羽のなかが蒸れる。

2日連続の研修ははじめて。トンネルがけの土寄せでしっかり体使った感じの一日だった。
・ハウス水やり
・レタス収穫
・ズッキーニのトンネル(ビニール)を開ける
・キャベツとブロッコリーを定植、防虫ネットをトンネルがけ
・レタス定植
~昼食~
・葉物の種がまかれた畝に、防虫ネットをトンネルがけ
・レタスに不織布をベタがけ

レタスの根元を鎌で切ると白い汁がじゅわっとでて、チシャの名前に納得。最近寒いから?出荷に生育が間に合うか厳しい状況で、少しでも育ってもらうため不織布で保温。

ズッキーニはマルチ、トンネル不織布、さらにビニール覆いをしてて、日中はビニールを外す。朝、Uピンを抜いて片方に寄せてUピンで留め直し、夕方またUピンを抜いて被せてUピンで留め直す。4畝で100箇所くらいのピンを毎日毎日抜いて刺してって、売られてる野菜からは想像できない手間がかかってる。マンガみたいだ。

防虫ネットは1ミリ、0.8ミリを使い分けてる。キャベツ、レタスは青虫がつくから1mmで良い。その他の葉物はキスジノミハムシ(黄筋蚤羽虫?)を防ぐため、目の細かい0.8mmを使う。埼玉の農作物病害虫写真集には0.4mmまでの使い分けが載ってる。でも巻いてあるネットからほしい目合いのを探すのに手間取った。トンネルはり終わったら、内側の端に0.8って書いてあった。両端に大書しないとね。

トンネル作りは、ネットが重いのと、両脇を土で押さえていく作業がなかなかしんどい。1人でできるかな・・・場所があれば畝を転がして広げられるけど・・・台車を作れたらいいな。マルチ張りにはハーリーなる道具が便利そう。


畝の途中でネットが終わったら、端を2本の支柱でクルクル巻いて留める。新しいネットも同様にし、少し重ねた位置からかけはじめる。

今日植えたレタスは5×5連結ポットでずいぶん大きい。普通は7×7でもう少し小さいのを植える。一緒に生えてるのはシロザかアカザ。苗とほとんど1:1で元気よく伸びているので、私は苗の一部かと思ってた。充分食べられる野草で実も佃煮にできるらしい。試してみよう。

今日はじめてあった研修生、広告関係の仕事から転身。ほかの土地も見たけど風景の感じでときがわを選んだ。2年の研修を経て今年から2反の畑を耕しつつ週2日は研修にも通っている。初年の週6日はさすが辛かったけど、それで夏を乗り越えたらやっていける気になれた。いまやってる畑は風の丘で使っていたところ、土ができてるので助かる。出荷も協力してもらえるし、作付時期や方法を参考にしたり、研修ありがたい。あと仲間がいるって大きい。そんなに規模大きくしないで食っていける程度でと今は思っている。

まだ研修2週目だけど、一緒にもくもくと働いて一緒にご飯食べた関係は確かにいいなあと思う。みんなの半分しか働かないけど仲間になれるよう頑張ろう。

----
南瓜・・・双葉の端から半分くらい、黒く溶けかけてた・・・不織布余ってるんだから二重にしておけばよかった。本葉の芽は死んでなさそうなので不織布を二重にして週末まで様子見る。

----
フミさん、昨日と同じに朝泣きながらバイバイしたけど、迎えに行ったら先生に向かって歌ってた。きらきら星だって。両手をブンブン上下しながら。
最近できるようになったこと:
・いただきます、ごちそうさまでした
・クレヨンでゴシゴシ描く。「こぐまちゃん描いてるの」など見立てる。
・ズボン、パンツ、靴下を脱ぐ
・フッフーと息を吹く
・色ペンの蓋を閉める

夫は十数年ぶりに連絡とれた友達と夕食。アニメ、ゲーム業界できつい仕事らしいけど、ロシア革命の話で盛り上がったとか、それは貴重な友達に違いない。

コメント

このブログの人気の投稿

GAS 同一カラムを複数条件でfilterできない件

Google Apps Script でSpreadsheetをデータベース代わりにwebアプリをポチポチ作ってて、スクリプトからSpreadsheetにフィルタかける場合、同一カラムに複数条件を設定できないことを知って残念……。 フィルタのかけ方はこんな感じ。 日付を範囲指定したいけど、After、Before片方しかつけられない。 var dataFile = SpreadsheetApp.openById(DATA_FILE_ID); var sh = dataFile.getSheetByName(LOG_SHEET_NAME); var criteriaDateAfter = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenDateAfter(new Date(targetDate)).build(); var criteriaUserEqual = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenTextEqualTo(user.id).build(); if (sh.getFilter()) { sh.getFilter().remove(); } var r = sh.getRange(1, 1, sh.getLastRow(), sh.getLastColumn()) .createFilter() .setColumnFilterCriteria(DATE_COL, criteriaDateAfter) .setColumnFilterCriteria(USER_ID_COL, criteriaUserEqual) .getRange(); FilterCriteriaに2回条件設定してみたり var criteriaDateRange = SpreadsheetApp.newFilterCriteria() .whenDateAfter(new Date(date1)) .whenDateBefore(new Date(date2)).build(); 同じカラムに2回条件設定してみたり var r = sh.getRange(1, 1, sh.get

兵士というもの

体制への信頼、懐疑、雰囲気といった変化していく現象を、あとから測定するためのひとつの方法が、行動を突き止めるというやり方である。 国立銀行への貯蓄高、死亡広告の文面、アドルフと命名された子どもの数、教会脱退者などなど。民族同胞の雰囲気が頂点に達したのは1937年から1939年の間、1941年以降は急速に低下した。 政治的に始まった抑圧を日常的実践へと移しかえたのは、人々が受動的であり、抑圧を容認し、批判的な言動を同じ考えの持ち主の間でしか行わなかったからであった。p.55 これこそが、近代的人間が一見暴力とは無縁であるかのように見える原因なのだ。人々は暴力を想定しておらず、暴力が起きたならば、それはなぜなのかつねに説明を探し求める。たとえ、何らかの手段としての暴力ではなかったとしてもである。それにたいして、自らの身体的不可侵性が保障されていると信じていない者は、常に暴力を想定し、それが起きても動揺することはない。したがって信頼と暴力のバランスはつねに微妙で難しいものとなる。p.77 暴力というものが反文明的なものであり、抑圧されなければならず、深刻な場合には撲滅しなければならないものという形を取るようになったのは、歴史的に見ればようやく近代になってからのことである。暴力それ自体が非難されるべきこととされ、もちろん手段としての暴力は避けられないとしてもその都度正当化が必要とされるか、もし起こってしまったとすれば説明が必要なものとなった。p.78 しかしたとえば、人間が性欲を持つということに理由づけは必要だろうか。食べたり飲んだり息をしたりすることに[中略]したがって説明が求められるのはその様態であって、根本的な動機ではないのだ。おそらく暴力の場合にも、そのように考えることが有益であろう。[中略]結局のところ人類が生き延びたのは、平和を作り出す能力ゆえではなく、狩猟のさいや、食料を争うあらゆる種類のライバルにたいして行使した暴力ゆえなのである。p.78 家庭という領域では依然としてパートナーや子供、ペットに対する暴力が存在しているし、教会や学生寮といった閉鎖された社会領域でも同様である。[中略]おそらく、日常生活から暴力が無縁になるにつれ、象徴的もしくは代理的に行使される暴力への欲求が高まるのだろう。そして国家間でも依然として、暴力は独占からはほど遠い。p.79

佐藤忠良・安野光雅『ねがいは「普通」』

創作の目標のひとつにしたい佐藤忠良さんの対談。 絵をまた描きはじめた目で読むと、あちこち響いてくる。 満州に行かされていたんです。じきにソ連が参戦し、突撃ってことになって――。僕は戦線から逃げ出したんですよ。隊長を誘惑してね。その時、逃げるっていっても行く先がはっきりしないんですよ。日本海を泳いで帰るわけにもいかない。あのころ三十三歳くらいでしたか、元気だったんですね。先が見えないなら、地続きの、かねて憧れていたパリまで、歩いて行くより仕方がない――真剣に考えたんです。 人の顔をつくるとき、その人の怒りや喜びや過ごしてきた時間――粘土の中にね、過去と現在と未来までも、かっこいい言い方すると時間性をぶち込もうとするんです。それが彫刻家の苦しさだと思う。[中略]永く鑑賞に耐える芸術は、時間性を持たなくては――。  彫刻って、手でいちばん苦労するんです。手の動き方一つで、きざになったり、甘ったれたものになってしまったり。手の位置にも苦労しますね。 たとえばリンゴを描きたいというときは、その作家の全内容が投影して、書きたくなるわけです。描きたいなって思ったときに、作者のあらゆる哲学的なものや、思想的なものが投影できれば、絵のリンゴのほうが実際のリンゴよりよく見えてくる――。 でも、シベリアに抑留されていた三年間、男ばかりで過ごしていると、本当に、すべてのことを見せ合ってしまう。その時、我々日本人っていうのは、教養と肉体がバラバラになっていると思いました。 僕は日本にいるときから、ヤギなんかずいぶん描いていて、シベリアにいたときは描く紙がないから、心に絵を描くみたいにしてヤギを見ていたんです。 いや、目の前にして言うのはなんですが、何度見ても飽きないものをつくるのは難しいことです。特に気品あるものを作るというのは――。(安野) 僕はいつも思うんですよ。隣人への憐れみがない芸術は嘘ですよ。<中略>気品のないもの、隣人へのいたわりのないものから本物の芸術は生まれてこない。芸術だけではないのですが。 (山根 いずれにせよ作品にまとめるとか、彫刻に生かそうということで、お二人はデッサンをなさるわけですよね) まあそうですが。彫刻に生かそうというか、何か栄養を蓄積するようなことなんですよ。<中略> 素描