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(2009/08/14-16)サンチャゴ

 "特にすることがないサンチャゴ"と誰かのブログで見かけたとおり、特に何もしなかったサンチャゴ。3泊4日だけど初日が深夜着で、4日目は昼出発だから実質2日。中央市場を通って繁華街を歩き、広場に行って丘に登って。2日目は動物園に行った。丘も動物園も見晴らしがよく、町のすぐ東に何重もの雪山が連なっていて、これで10km先も見えないようなスモッグがなければ壮観だろうと思う。動物園よかった。リャマがたくさんいた。ビクーニャは首が細長く目が大きく下膨れの頬が可愛かった。
動物園からの眺め
カンガルー
リャマ
ビクーニャ
動物が何となくなつっこい
つばがコワイらくだ

 でも、観光らしいことは何もしなかったけど結構楽しめた。町の人達は目が合えば挨拶してくれるし(そうしてみるとペルーは不審者に厳しいピリピリした所だったな)、落書きの元気さ、お菓子の変わり映えしなさ、放し飼い(野良?)犬にギリシャを思い出してうれしい。



 泊まった Bellavista Hostel の部屋は10畳くらいの広さでダブル+シングルベッド、窓から裏山が見える。ポップアート中心のDIYな内装も程よく、セントラルヒーティング、共同シャワーはバスタブ付(もあり)。
ダイニング

 食事は El Caramaño が当たりだった。鶏肉のシーフード詰め、鶏肉・牛肉に甘いとうもろこしペーストをかけてオーブン焼きにした Pastel de choclo 。親切な応対、木の床、漆喰壁、ギンガムチェックのクロス。気軽にくつろいでおいしい物が食べられて2人で5000円くらい。ポルトガル以来の満足。
 寿司店がそこここにあって(SUSHITAとかMAKISUとかSUSHI-BARとか)、海産国だし寿司はおいしいのかもと思って食べてみたら外れだった。といってもハンバーガーと並べて売ってるようなスタンドで食べたから当然か。こんなスタンドまで普及するからにはと期待してしまったけどそんなことはなかった。わさび抜き(添えてある)、チーズクリーム入り(!)、甘い醤油。寿司は酢飯だからこそ寿司なんだなと理解しました。ま、これはこれで異国情緒。



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