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2台目のパソコン(2009/08/13)サンチャゴ

 サンチャゴはクスコより寒かった。理屈では緯度が高いから当たり前なのに少し驚いているのはやはり「北のほうが寒い」と思っているんだろう。リマのタクシードライバーに「今日は寒いけど南ほどじゃないよ」と言われたときも少し驚いた。
 全面曇り空はリマと同じ。街路樹はどれも葉を落としているし枝垂れ樹形が多くて元気なく見える。白くもやがかった光景(もやでなくスモッグらしい)。すぐ近くに雪を被ったとげとげしく高い山脈が、ふもとは白く霞んで浮かぶようなのは幻想的と言えば言える。



 宿のパソコンでWikipedia等ざっと見て知ったこと:
・チリ国民の95%はスペイン、ドイツ等から移住した白人がルーツ
・先住民のマプーチェは、インカに負けず、スペインにも300年負けなかった
・負けてしまったあとは差別、略奪にあい、今も多く貧困に苦しんでいる
・世界初、自由選挙で社会主義政権成立
・ピノチェト政権成立の裏にやはりCIAあり
・産業は銅、鮭養殖、パルプ、ワイン。観光も最近。大自然堪能、スキー、バルパライソ
・治安、公権力の透明性、識字率、南米のトップ集団に入る
・サンチャゴは残念ながら観光客にとっては1日いれば充分、なところ

 残念ながらサンチャゴ3泊の予定にしてしまった。レンタカーでパタゴニア方面に行ったら楽しかったかも。ま、仕方ない。

 パソコン探しに午後から中心地へ。街路樹や街頭の整備ぐあい、人の顔つき服装、ビルの作り、色合い、中央ヨーロッパにこういう町があるんですと写真を見せられたら信じそう。繁華街で見るかぎり物価も日本とそれほど変わらない。
 しかし路上の物売りは肌色の濃い人、手が無い、足が無い、目が見えないといった人達ばかりで、そういった事柄と生活とが固くつながっているように想像する。ペルーの町はあからさまに貧しい人の大集団と局所的な金持ちからなっていた。リマで言えばミラフローレス地区だけ別世界、クスコでは町を横切って歩くだけで人の顔つき、服装、建物、物価が変わる。サンチャゴの歩いてまわる範囲ではそういう違いを感じないけれど、空港に向かう道沿いには膨大な画一デザイン安普請住宅があり、自作バラックに住む人も多くいるようだし、貧困問題は確実にあって、収入分布の違いでしかないだろう。
 日本はどうなんだ、と思ってイメージできないことに気づく。貧困問題があることは間違いないんだけど。


 パソコンは結局RIPLEYで購入。結局OSはスペイン語。プラグは3本の丸棒が横一列に並ぶフォーク形。無くなったパソコン同様、モベルでもらったアダプタセットに助けられる。

 その後日本語化で苦戦。Global IMEをダウンロード、インストールしても利用言語の選択肢に現れず。教えて!gooの”解決に繋がるかどうか分かりませんが、いったん Instalar archivos para pos idiomas de Asia oriental をオフにし、再起動後、入れ直してみてはどうでしょうか。”が解決に繋がった。
 ようやく現れた選択肢を追加(Agregar)しても使えないと思ったら、Distribucion del teclado/IME をチェックしないと、キーボードが設定されないのだった。
 で、IME ON/OFF を(半角/全角キーが存在しないので)別のキーに割り当て。何にするか悩むけど Ctrl+INS にする。
でも今(16日。メキシコシティ)Wikipedia見たら、”「半角/全角」キーの代用として「Alt」+「~(チルダ)」で対応する(OADGによる標準化)”ということで不要な割り当てだった。
 無変換も使いたいような気がしつつ、どのキーに割り当てるか考えるのと覚えるのが面倒でやらない。
 記号のキーが日本で使っていたキーボードと違うのにも閉口。これは102キーボードというものらしい。現在は109キーボードが主流、らしい。!#$%<>?位しか共通じゃないじゃないか。切り替えられそうなソフトを入れようとして、メッセージダイアログまでは日本語化されないことに気づく。今日はもういいや。

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