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2010/01/28-02/01

1/28(木)
ほとんど寝てたと思う。

1/29(金)
『資本主義後の世界のために-新しいアナーキズムの視座』D・グレーバー、高祖岩三郎 以文社
希望のもてる話。まぁ作者もいうとおりアナーキストなんて楽天家じゃないとやってられない。

1/30(土)
森美術館で「G|tokyo|2010」。100人近い行列で驚いた。連れられて行っただけだけど結構楽しめた。キューバの現代美術もがんばってたけど比べればこっちのほうがやっぱりオシャレだねぇ。お客さんも文化系・オシャレ系で楽しかった。

1/31(日)
iPhoneが壊れた。操作中、突然画像が乱れてアップルマーク表示。その後復活したように見えて、日本語入力とかキーボード切り替えとか何かにつけてホームに戻ってしまう。やれやれ。

「中川家の立ち話」たしかに立ち話。節約に興味ないので常に節約話に流れていくゲストトークはいささか退屈した。常軌を逸したドケチってほどでもないしねぇ。

ジュンク堂にちらっと寄って「勉強しなきゃ」気分を煽られて帰る。高円寺珈琲貴族。駅前広場、誰もいないのに立ってる警備員2人は何を防衛してるのか。

2/1(月)
品川まで歩く。やっぱり雨だとあまり楽しくない。Googleマップでルート検索、要所要所をメモしてきたけど、マンション・ビル名を見落としてしょっちゅう道に迷ってはiPhoneのマップで現在位置確認。

児童遊園地という名のデッドスペース。通行人すらいない。

テオブロマを通りかかって嬉しく休憩。

"(推定)"に小さく感動するのはなぜ。


芝の鳥一代で先輩に身の上相談。要件定義をどうするか以前に仕事が取れないからなぁ。こんなときだからこそ、いいメンバー結集して提案ネタ探しから開発までつなげてやりたい、やりましょう(採用されたら)。プロジェクトマネージャーとプロジェクトリーダーの違い。チーム制×技能集団の夢。

勉強・調査・イベントなんでも、なんかやりたい人を応援する探求部のアイディアは好評。

コメント

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Google Apps Script でSpreadsheetをデータベース代わりにwebアプリをポチポチ作ってて、スクリプトからSpreadsheetにフィルタかける場合、同一カラムに複数条件を設定できないことを知って残念……。 フィルタのかけ方はこんな感じ。 日付を範囲指定したいけど、After、Before片方しかつけられない。 var dataFile = SpreadsheetApp.openById(DATA_FILE_ID); var sh = dataFile.getSheetByName(LOG_SHEET_NAME); var criteriaDateAfter = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenDateAfter(new Date(targetDate)).build(); var criteriaUserEqual = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenTextEqualTo(user.id).build(); if (sh.getFilter()) { sh.getFilter().remove(); } var r = sh.getRange(1, 1, sh.getLastRow(), sh.getLastColumn()) .createFilter() .setColumnFilterCriteria(DATE_COL, criteriaDateAfter) .setColumnFilterCriteria(USER_ID_COL, criteriaUserEqual) .getRange(); FilterCriteriaに2回条件設定してみたり var criteriaDateRange = SpreadsheetApp.newFilterCriteria() .whenDateAfter(new Date(date1)) .whenDateBefore(new Date(date2)).build(); 同じカラムに2回条件設定してみたり var r = sh.getRange(1, 1, sh.get

兵士というもの

体制への信頼、懐疑、雰囲気といった変化していく現象を、あとから測定するためのひとつの方法が、行動を突き止めるというやり方である。 国立銀行への貯蓄高、死亡広告の文面、アドルフと命名された子どもの数、教会脱退者などなど。民族同胞の雰囲気が頂点に達したのは1937年から1939年の間、1941年以降は急速に低下した。 政治的に始まった抑圧を日常的実践へと移しかえたのは、人々が受動的であり、抑圧を容認し、批判的な言動を同じ考えの持ち主の間でしか行わなかったからであった。p.55 これこそが、近代的人間が一見暴力とは無縁であるかのように見える原因なのだ。人々は暴力を想定しておらず、暴力が起きたならば、それはなぜなのかつねに説明を探し求める。たとえ、何らかの手段としての暴力ではなかったとしてもである。それにたいして、自らの身体的不可侵性が保障されていると信じていない者は、常に暴力を想定し、それが起きても動揺することはない。したがって信頼と暴力のバランスはつねに微妙で難しいものとなる。p.77 暴力というものが反文明的なものであり、抑圧されなければならず、深刻な場合には撲滅しなければならないものという形を取るようになったのは、歴史的に見ればようやく近代になってからのことである。暴力それ自体が非難されるべきこととされ、もちろん手段としての暴力は避けられないとしてもその都度正当化が必要とされるか、もし起こってしまったとすれば説明が必要なものとなった。p.78 しかしたとえば、人間が性欲を持つということに理由づけは必要だろうか。食べたり飲んだり息をしたりすることに[中略]したがって説明が求められるのはその様態であって、根本的な動機ではないのだ。おそらく暴力の場合にも、そのように考えることが有益であろう。[中略]結局のところ人類が生き延びたのは、平和を作り出す能力ゆえではなく、狩猟のさいや、食料を争うあらゆる種類のライバルにたいして行使した暴力ゆえなのである。p.78 家庭という領域では依然としてパートナーや子供、ペットに対する暴力が存在しているし、教会や学生寮といった閉鎖された社会領域でも同様である。[中略]おそらく、日常生活から暴力が無縁になるにつれ、象徴的もしくは代理的に行使される暴力への欲求が高まるのだろう。そして国家間でも依然として、暴力は独占からはほど遠い。p.79

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