スキップしてメイン コンテンツに移動

20100217到着

岡崎から名古屋中心部まで35.3km

大きな地図で見る

両足首にテーピングしたら思った以上に効果があって楽に歩けた。5~6km明日に残るかと思ってたら着きました。名古屋。364kmを14日、日で割ると26kmはやや残念な結果ですがまぁできることしかできませんからよしとします。
明日名古屋観光して友達に会って、明後日新幹線でデブサミに駆けつけます。
チサンイン

愛知県気に入りました。歩道がいい。手付かずの自然(雑草)が元気。喫茶店が多い。意味のわからないものがたくさんある。ポイ捨てゴミの多さは嫌ですが、バナナの皮があちこちに落ちているのはなぜ。

歩道橋も広い。やたら歩道工事してるのは裕福なのか道路族が強いのか。車道はやり尽くしたっぽい。トヨタ県だもんね。

植え込みと雑草のコラボ。放ってあるのがいい。

やりすぎない護岸もよし。何もしてないだけ?


豊橋あたりで看板見かけて気になってたコメダ珈琲店に2回行って満足。「モーニングセット」って思ってたけどメニュー上は「コーヒー」とかなのね。なのにトーストが付いてくると。わかってても何となく嬉しいものでした。
水曜朝10時に満席。初老から20代、夫婦・同僚・友達、いろいろなひとが新聞読んだりしてゆっくり過ごしてるギリシャ的光景すばらしい。
シロノワール。「小さいほうはホントお一人様用って感じで、大きいほうは変なはなし食事代わりにするみたいな」と言われ、食事代わりなので大きいほうにしたら随分大きかった。シロップまで来てるとは思わなかった。

シンデレラ城のようにファンタジーな建物にびっくり。結婚式場。看板にあったCoqueluche(ドレスショップらしい)、仏語で百日咳みたいですが、、、俗語で別の意味あったりするのかな、、、コケルッシュって語感も悪いだろうに、、、。

カフェテリアつる屋。壁に時計が、、、

知立名物「大あんまき」って気になったけど、ようは筒型どら焼きっぽかったので素通り

名古屋市上下水道局のイメージキャラクター「アメンボマーク

ひまわり(暇回)散歩道

空車"なし"を表現?

強引なグルーピング

ほかに
 喫茶 話留都、亜米利館
 サイ利用なら"最高"サイ鋼
 あらゆる塗装のことなら○○
 ヌカハウス (持ち帰り自由なヌカを置いてある)
などなど切がありません。

コメント

このブログの人気の投稿

GAS 同一カラムを複数条件でfilterできない件

Google Apps Script でSpreadsheetをデータベース代わりにwebアプリをポチポチ作ってて、スクリプトからSpreadsheetにフィルタかける場合、同一カラムに複数条件を設定できないことを知って残念……。 フィルタのかけ方はこんな感じ。 日付を範囲指定したいけど、After、Before片方しかつけられない。 var dataFile = SpreadsheetApp.openById(DATA_FILE_ID); var sh = dataFile.getSheetByName(LOG_SHEET_NAME); var criteriaDateAfter = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenDateAfter(new Date(targetDate)).build(); var criteriaUserEqual = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenTextEqualTo(user.id).build(); if (sh.getFilter()) { sh.getFilter().remove(); } var r = sh.getRange(1, 1, sh.getLastRow(), sh.getLastColumn()) .createFilter() .setColumnFilterCriteria(DATE_COL, criteriaDateAfter) .setColumnFilterCriteria(USER_ID_COL, criteriaUserEqual) .getRange(); FilterCriteriaに2回条件設定してみたり var criteriaDateRange = SpreadsheetApp.newFilterCriteria() .whenDateAfter(new Date(date1)) .whenDateBefore(new Date(date2)).build(); 同じカラムに2回条件設定してみたり var r = sh.getRange(1, 1, sh.get

兵士というもの

体制への信頼、懐疑、雰囲気といった変化していく現象を、あとから測定するためのひとつの方法が、行動を突き止めるというやり方である。 国立銀行への貯蓄高、死亡広告の文面、アドルフと命名された子どもの数、教会脱退者などなど。民族同胞の雰囲気が頂点に達したのは1937年から1939年の間、1941年以降は急速に低下した。 政治的に始まった抑圧を日常的実践へと移しかえたのは、人々が受動的であり、抑圧を容認し、批判的な言動を同じ考えの持ち主の間でしか行わなかったからであった。p.55 これこそが、近代的人間が一見暴力とは無縁であるかのように見える原因なのだ。人々は暴力を想定しておらず、暴力が起きたならば、それはなぜなのかつねに説明を探し求める。たとえ、何らかの手段としての暴力ではなかったとしてもである。それにたいして、自らの身体的不可侵性が保障されていると信じていない者は、常に暴力を想定し、それが起きても動揺することはない。したがって信頼と暴力のバランスはつねに微妙で難しいものとなる。p.77 暴力というものが反文明的なものであり、抑圧されなければならず、深刻な場合には撲滅しなければならないものという形を取るようになったのは、歴史的に見ればようやく近代になってからのことである。暴力それ自体が非難されるべきこととされ、もちろん手段としての暴力は避けられないとしてもその都度正当化が必要とされるか、もし起こってしまったとすれば説明が必要なものとなった。p.78 しかしたとえば、人間が性欲を持つということに理由づけは必要だろうか。食べたり飲んだり息をしたりすることに[中略]したがって説明が求められるのはその様態であって、根本的な動機ではないのだ。おそらく暴力の場合にも、そのように考えることが有益であろう。[中略]結局のところ人類が生き延びたのは、平和を作り出す能力ゆえではなく、狩猟のさいや、食料を争うあらゆる種類のライバルにたいして行使した暴力ゆえなのである。p.78 家庭という領域では依然としてパートナーや子供、ペットに対する暴力が存在しているし、教会や学生寮といった閉鎖された社会領域でも同様である。[中略]おそらく、日常生活から暴力が無縁になるにつれ、象徴的もしくは代理的に行使される暴力への欲求が高まるのだろう。そして国家間でも依然として、暴力は独占からはほど遠い。p.79

佐藤忠良・安野光雅『ねがいは「普通」』

創作の目標のひとつにしたい佐藤忠良さんの対談。 絵をまた描きはじめた目で読むと、あちこち響いてくる。 満州に行かされていたんです。じきにソ連が参戦し、突撃ってことになって――。僕は戦線から逃げ出したんですよ。隊長を誘惑してね。その時、逃げるっていっても行く先がはっきりしないんですよ。日本海を泳いで帰るわけにもいかない。あのころ三十三歳くらいでしたか、元気だったんですね。先が見えないなら、地続きの、かねて憧れていたパリまで、歩いて行くより仕方がない――真剣に考えたんです。 人の顔をつくるとき、その人の怒りや喜びや過ごしてきた時間――粘土の中にね、過去と現在と未来までも、かっこいい言い方すると時間性をぶち込もうとするんです。それが彫刻家の苦しさだと思う。[中略]永く鑑賞に耐える芸術は、時間性を持たなくては――。  彫刻って、手でいちばん苦労するんです。手の動き方一つで、きざになったり、甘ったれたものになってしまったり。手の位置にも苦労しますね。 たとえばリンゴを描きたいというときは、その作家の全内容が投影して、書きたくなるわけです。描きたいなって思ったときに、作者のあらゆる哲学的なものや、思想的なものが投影できれば、絵のリンゴのほうが実際のリンゴよりよく見えてくる――。 でも、シベリアに抑留されていた三年間、男ばかりで過ごしていると、本当に、すべてのことを見せ合ってしまう。その時、我々日本人っていうのは、教養と肉体がバラバラになっていると思いました。 僕は日本にいるときから、ヤギなんかずいぶん描いていて、シベリアにいたときは描く紙がないから、心に絵を描くみたいにしてヤギを見ていたんです。 いや、目の前にして言うのはなんですが、何度見ても飽きないものをつくるのは難しいことです。特に気品あるものを作るというのは――。(安野) 僕はいつも思うんですよ。隣人への憐れみがない芸術は嘘ですよ。<中略>気品のないもの、隣人へのいたわりのないものから本物の芸術は生まれてこない。芸術だけではないのですが。 (山根 いずれにせよ作品にまとめるとか、彫刻に生かそうということで、お二人はデッサンをなさるわけですよね) まあそうですが。彫刻に生かそうというか、何か栄養を蓄積するようなことなんですよ。<中略> 素描