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ハノイ(2009/03/29)亀を投げる人

 朝は曇り、半袖では肌寒い。日中は晴れて暑くなった。
 朝食、牛肉フォーの名店らしい pho tinh へ。確かにスープ熱々で味もしっかり、牛肉は柔らかい。なるほどでした。
 池の周りを散歩。ウォーキング、バドミントン、体操、写真撮影などする人達が沢山。亀(クサガメ?)を池に投げ込む女性2人連れ。トートバッグに詰め込んだ(100匹はいそうな)のを、ひょい、ぶーん、ひょい、ぶーんと。放生、繁殖、在庫処分、、、なんだったのか。
 宿の並び、nguyen huu huan 通りに、ブックカフェのフォンナム書店を発見し、喜んで入る。小さい売り場で絵本や外国書籍が多い。ハノイにはブックカフェが無いそうです。 ニャチャンとフエでも行ったし、この店が好きですと店員さんに話してしまいましたが、普通に考えるとおかしな行動ですね。可愛いショッピングバッグが飾ってあって、売りものか聞いたらもらえました。
 宿は旧市街というか36小路の近くなので、フランス人が敷設したという大通りのほうに行ってみます。ヨーロッパ諸国の建築様式が混在しているのがハノイの面白さだそうで、そう思って見るとそう見える、ガイドブック効果。しかし東京で育っていると建築様式の混在には慣れてしまいます。先日来お世話になっている本の版元、the gioi 出版に行ったら閉まっていて、誰かのブログですすめられていたフォーの店は無くなっていて、かなり歩いた後だったので残念。そこにあった露店というか、椅子しかないんですけど、で緑茶4杯4000ドン。
 そんなわけで、昼食はケンタッキー・フライド・チキン。アップルパイに加えてタロイモパイがあって食べてみました。タロイモ美味しい。これがなかなかこなくて『旅たび会話』「注文した料理がまだ来ていません」が役に立ちました。あとは、ケチャップだけじゃなくチリソースもあるのと、トレイがすごく大きいのと、野菜スープに香草、というあたりにベトナムを感じました。
 もう疲れたけど頑張って Fine Art Museum に行ったら、とても見応えがありました。青銅器、チャンパ、仏像、陶器、、、説明も英仏日独あり。私達はチャンパと陶器が気に入っているのですが、売店の絵葉書にはどちらもなく(陶器のは今後作られる予定らしい)残念。ベトナム国内では、絵や仏像などに比べて、陶器はいくらか低い扱いなんでしょうか?展示も別館地下だったし。
 広い広いホーチミン廟で休憩し、ビアホールと勘違いして入った焼肉店で夕食。

50,00pho bo
36,000Geckoカフェ
4,000緑茶4杯
20,000ATM手数料
91,000KFC
25,000オレンジジュース、hot black coffee (これがひどかった、、、煮詰まって梅干味)
40,000美術館2人
20,000北正門2人
165,000焼肉2人前とビール
43,000水、オレンジジュース1L、オレオ
$12宿


ハノイ駅
街角
フォンナム書店のショッピングバッグ。裏はPNCのロゴ。
出版社。鳥かごが2つ
ホーチミン廟
北正門にフランス軍の砲撃跡
焼肉。オクラと肉を焼いて、香草と一緒にペーパーライスに巻いて食べる。おいしい。テラスというか櫓のよう。
焼肉店内。すぐ満員に。
電線から電気拝借しているコンセント。
寄って見る。左下のコンセントは活きてません。埋まってるだけ。
工事現場の足場
標準4人乗りスタイル。ケンタッキー前にて。ハノイでは太めの人をよく見る気がする。
FPT社。大使館や官庁舎のある一帯に。

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