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クレタ(2009/04/11-14)イラクリオからハニアまで

ずっと晴れ(少し曇り)

 11日に高速フェリーでピレウスからクレタ島イラクリオに来ました。イラクリオで1泊、車を借りてレシムノに行き、そこでも1泊、昨日からハニア。この後、島を東から西へ移動して、山村や南海岸に寄りながら東に戻る予定。

 イラクリオ。クレタで1番、ギリシャで5番目に大きな街、誰もあまり”美しい”と言わない普通の街ですけど、2年前に夏に来たときと段違いに人が少なくて十分のんびりできました。営業中のタベルナも少ない。よさそうな所を探して歩いたら、たぶん前回と同じ店に入って、ドルマデスとゲミステス・ドマーテス。外身はブドウの葉とトマト、中身はどちらも米。メインが3種類(ムサカ、スブラキ)しか無かったから仕方ないね。前回はポテト尽くしだった気がする。
 ”改修後2009年にオープン予定”の考古学博物館は当然オープンしていなくて、前回と同じ「厳選」展示物を見物。やっぱりミノア文明には惹かれます。素焼きの土器が中心ですが、ちょっと想像を超えるユニークな形と模様。シャンパンツリーのように杯を積み重ねたもの、2つの壺をつないだもの(片方には口が無い)、注ぎ口に襞を寄せたり動物の口にしたり。自由な遊び心を感じて楽しい。
 ギリシャで唯一の知人と言って差し支えない人、ニコスの店(詩の専門書店。博物館前にあり、売り上げのメインはガイドブックと想像)に行ってみました。私たちのことは話をするうちに何となく思い出されたようです。少しだけのつもりが、今回もワインが出てぽつぽつ話すうちに立ち上がるタイミングを逸し(意外とお客さんが来るので。ガイドブックのね)、2時間を超えてしまいました。昼休みを潰してしまったようで悪かった。次回はギリシャ語だけで話すよと言われました。がんばらないと。

 レシムノまで山道。左ハンドル・右側通行に慣れるまで怖いですね。カーブの予期しない位置に対向車が現れたり、交差点で反対車線に入りそうになったり。ガードレールも道路灯も何もなくて(ヤギに注意マークはある)、暗くなったら走れない。といっても、運転するのは私じゃない。
 ベネチアの城塞跡がとても良かった。何も期待しなかっただけに?それだけでもない。一面の野の花畑!黄、白、青、紫、赤、風にそよぐ草!それともちろん海、空。両側に雪山。シンプルで力強い美しさ。けっこう不幸な気持ちの人でも、ここに来て幸せを感じないのは難しいでしょう。もともとほがらかなら、体中を幸せで一杯にできます。
 誰かの本に”遺跡めぐりなら春が良い” ”春のペロポネソス半島は素晴らしい”とあって、まぁ普通そんなものかな、くらいに思っていましたが、ビーチ以外にも行く気なら断然春が良いです。4月に休みを取ってギリシャ旅行をぜひ。何でもない道が生命賛歌のようです。それに混んでいないし、だから地元の人もリラックスしてるし、客引きも緩いし、値段も安い(レンタカー、1日40ユーロでした。ハイシーズンは70ユーロですって)。多少がんばれば海でも泳げるみたいです。

 ハニアは今のところ特に何も。トイレの鍵が壊れて閉じ込められた事件と、カフェの店員がつまづいてトマトサラダが宙を飛んだ事件くらい。ティロピタ(チーズパイ)とタベルナが続くとすぐ太るので(といって、なかなか他に外食メニューが無いので)、スーパーでオレンジとパンとチーズ買って海岸で食べています。オレンジ1個30セント。美味しい。


そういえば
 村上春樹『遠い太鼓』に、ギリシャでランニングして「体に悪い」「何で走るんだ?!」と言われた話がありましたが、あれは80年代、今はランナー、自転車、フィットネスクラブを普通に見かけます。カフェではカプチーノやエスプレッソがネスカフェに勝る勢い。何が残っていくんでしょうね。どこの国でも。とりあえず、すごく甘いすごく大きいケーキ類は健在。

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