スキップしてメイン コンテンツに移動

クレタ(2009/04/15-16)ハニア、南側、フェストス

ずっと晴れ。

 前日夜、たまには少し高い食事も、、、と思ってシーフード(基本的に高い)レストランに行ったけど結局フライ尽くし(イカ、小魚、ポテトね)で残念でした。後半苦しみながらも食べきれなかったし。しかし、周りを見ると、ギリシャでは食べきれないのを大量に残すのは全く問題ないようです。後日泊まった宿の人もそう言ってました。さすがに「残すのがマナー」では無いそうです。食後に出てきたラキ、グリコ、ヨーグルトが一番おいしかった。
 そういえば、その後、カフェでサッカー中継を見ました。アテネのカフェ(ニオン?)で皆がサッカー観戦に盛り上がる様子が楽しかったからです。しかし、ヨーロッパ・チャンピオンズリーグのミュンヘン対バルセロナ、客は皆ドイツ人、、、と判ったのは席についてから。ギリシャ人にしては静かすぎると思ったんですよね。得点が入っても「ヨシッ」と呟くか目配せくらい。国で人は括れないといっても、やっぱりそれなりに国柄ってあるんだなぁ。

 15日、ハニアの市場で朝昼兼ねた食事。魚フライ、野菜フライ、野菜のアーティチョーク煮、ホルタン・スタミナゴーシュ。薦められるままに再び頼みすぎた。そうか、残して構わないから「2人には多いかもしれませんよ」とか言われないのか。でも久し振りの青い野菜が嬉しかった。タベルナではトマト・ポテトばかりですから。”ホルタン・スタミナゴーシュ”名前は焼肉みたいですが、春菊とホウレン草を合わせたようで花の香りがする草。
 市場でショッキングなものを、、、私の家にはウサギがいるんですけど、市場にもウサギが、、、丸裸で後ろ足のフサフサな毛だけ残して、「ぴょーん」の姿勢で吊るされてましたよ。おいしそうでしたよ(実際おいしかった。この日の夕食)。

 イラクリオのニコス氏に勧められたモニ・プレヴェリに寄りつつ、南側のビーチにも行っておこうとアギア・ガリーニへ。"where package tourism and overdevelopment have spoilt much of its original charm" と言われると(lonely planet)、もっと静かな所に行きたくなるけど、そっちは何も営業していなそうで怖いから。
 海の見える部屋に泊まったし、ウサギは柔らかくてコクがあったし、フィルターコーヒーが売り切れ(ってどういうことだろう)でネスカフェだったし、これでともかく南側にも行ったことになりました。

 16日、フェストス、ゴルティスの遺跡を通って、"If there was a village that embodies quintessential Crete, it is Anogia" (再び lonely planet )というアノーヤへ。
 フェストス、ゴルティスは石しかない遺跡で(出土品はイラクリオ"改装中"考古学博物館に)、2年前の夏と違って花が咲いていることを期待して行ってみました。しかしそうでもなかった。一足遅かったのか、あまり草花は育たない地域なのか。それでも、フェストスから見える景色は気持ち良い。ひろびろと、なだらかに続く丘陵、白っぽい地面、潅木。私がギリシャを好きな理由は、この山の形かもしれません。

 レンタカー店でもらったクレタ島の地図(兵庫県ほどの島全土がA3に収まってるんですから、ごく大雑把なもの)を頼りに、都会(イラクリオ)には戻らず田舎道で行こうと国道を降りたところで地元の人に止められ、身振り以外は良くわからないけど、どうもこの先で道が駄目になっている?戻って左に行け?と言っている?聞いてみよう。「リポン、プレピナパオストイラクリオ?(つまり、私はイラクリオに行かなければならない?)」「ネ!!(そう!!)」
 この大雑把な地図にも載るほどの道が通れない、のに驚くとは、日本の道路整備はかなり行き届いているんだな。前日レシムノから南側へ出るのにも同じことがありました。

 一週間のドライブで思ったこと。
 運転が乱暴には感じない。飛ばすのと車間を詰める以外。たまに超スロー運転がいる。どちらにしてもマイペース。車体の凹みは直さない。洗車はほとんどしない。バンパー落ちは珍しくない。ナンバープレートは、フロントガラスに貼紙か、ペンキで車体に書くという手がある。ドイツ車が多いのはグリファダ固有、クレタは日本車たくさん。標識は必要最低限、ここで逆に曲がったら辿り着かないところにはある。"そのまま進め"はわざわざ出さない。目的地への距離は地図上の直線で計算したと思われる。同じ交差点の2つの標識で距離が違うことも。気にしない。国道であってもガードレール、街灯は無い。"ヤギに注意"看板はある。夜はカーブとヤギ(他ウサギ、ネコ)が怖い。土ぼこりでスリップする。
 レンタカーのガソリン満タン、マニュアル備付も、やはり日本文化なのか。返すとき"駐車場のゲートが閉まってたから近くの路上に停めてきた"で、確認もされなかったけど、大丈夫なのか。駐車場まで一方通行だらけで戻れず、店まで歩いてルートを聞きに行ったけど、日本だったらまず借りるときに地図渡されるだろうな。
 南からイラクリオに向かうバイパス(地図には載っていなかった)は絶景。切り通しの長い坂道が、飛び込むように海へ続く。大きく緩やかに下るカーブが、街と港にすべりこむ。アテネや夏休みは知りませんが、この時期のクレタは特に身の危険を感じなかったので、レンタカー勧められます。

ハニアで
歩道修理中
町並み
ここも花盛り
宿の天井が高かった
市場
奥にウサギが、、、正面からは撮れなかった
中華料理店"スキヤキ"。がんばれ日本。

プレヴェリ修道院





Agia Galini へ向かう途中に峡谷が。
看板の裏
と思ったら反対側も無地

Agia Galini


フェストス


ゴルティス、というか羊の群れ

コメント

このブログの人気の投稿

GAS 同一カラムを複数条件でfilterできない件

Google Apps Script でSpreadsheetをデータベース代わりにwebアプリをポチポチ作ってて、スクリプトからSpreadsheetにフィルタかける場合、同一カラムに複数条件を設定できないことを知って残念……。 フィルタのかけ方はこんな感じ。 日付を範囲指定したいけど、After、Before片方しかつけられない。 var dataFile = SpreadsheetApp.openById(DATA_FILE_ID); var sh = dataFile.getSheetByName(LOG_SHEET_NAME); var criteriaDateAfter = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenDateAfter(new Date(targetDate)).build(); var criteriaUserEqual = SpreadsheetApp.newFilterCriteria().whenTextEqualTo(user.id).build(); if (sh.getFilter()) { sh.getFilter().remove(); } var r = sh.getRange(1, 1, sh.getLastRow(), sh.getLastColumn()) .createFilter() .setColumnFilterCriteria(DATE_COL, criteriaDateAfter) .setColumnFilterCriteria(USER_ID_COL, criteriaUserEqual) .getRange(); FilterCriteriaに2回条件設定してみたり var criteriaDateRange = SpreadsheetApp.newFilterCriteria() .whenDateAfter(new Date(date1)) .whenDateBefore(new Date(date2)).build(); 同じカラムに2回条件設定してみたり var r = sh.getRange(1, 1, sh.get

兵士というもの

体制への信頼、懐疑、雰囲気といった変化していく現象を、あとから測定するためのひとつの方法が、行動を突き止めるというやり方である。 国立銀行への貯蓄高、死亡広告の文面、アドルフと命名された子どもの数、教会脱退者などなど。民族同胞の雰囲気が頂点に達したのは1937年から1939年の間、1941年以降は急速に低下した。 政治的に始まった抑圧を日常的実践へと移しかえたのは、人々が受動的であり、抑圧を容認し、批判的な言動を同じ考えの持ち主の間でしか行わなかったからであった。p.55 これこそが、近代的人間が一見暴力とは無縁であるかのように見える原因なのだ。人々は暴力を想定しておらず、暴力が起きたならば、それはなぜなのかつねに説明を探し求める。たとえ、何らかの手段としての暴力ではなかったとしてもである。それにたいして、自らの身体的不可侵性が保障されていると信じていない者は、常に暴力を想定し、それが起きても動揺することはない。したがって信頼と暴力のバランスはつねに微妙で難しいものとなる。p.77 暴力というものが反文明的なものであり、抑圧されなければならず、深刻な場合には撲滅しなければならないものという形を取るようになったのは、歴史的に見ればようやく近代になってからのことである。暴力それ自体が非難されるべきこととされ、もちろん手段としての暴力は避けられないとしてもその都度正当化が必要とされるか、もし起こってしまったとすれば説明が必要なものとなった。p.78 しかしたとえば、人間が性欲を持つということに理由づけは必要だろうか。食べたり飲んだり息をしたりすることに[中略]したがって説明が求められるのはその様態であって、根本的な動機ではないのだ。おそらく暴力の場合にも、そのように考えることが有益であろう。[中略]結局のところ人類が生き延びたのは、平和を作り出す能力ゆえではなく、狩猟のさいや、食料を争うあらゆる種類のライバルにたいして行使した暴力ゆえなのである。p.78 家庭という領域では依然としてパートナーや子供、ペットに対する暴力が存在しているし、教会や学生寮といった閉鎖された社会領域でも同様である。[中略]おそらく、日常生活から暴力が無縁になるにつれ、象徴的もしくは代理的に行使される暴力への欲求が高まるのだろう。そして国家間でも依然として、暴力は独占からはほど遠い。p.79

佐藤忠良・安野光雅『ねがいは「普通」』

創作の目標のひとつにしたい佐藤忠良さんの対談。 絵をまた描きはじめた目で読むと、あちこち響いてくる。 満州に行かされていたんです。じきにソ連が参戦し、突撃ってことになって――。僕は戦線から逃げ出したんですよ。隊長を誘惑してね。その時、逃げるっていっても行く先がはっきりしないんですよ。日本海を泳いで帰るわけにもいかない。あのころ三十三歳くらいでしたか、元気だったんですね。先が見えないなら、地続きの、かねて憧れていたパリまで、歩いて行くより仕方がない――真剣に考えたんです。 人の顔をつくるとき、その人の怒りや喜びや過ごしてきた時間――粘土の中にね、過去と現在と未来までも、かっこいい言い方すると時間性をぶち込もうとするんです。それが彫刻家の苦しさだと思う。[中略]永く鑑賞に耐える芸術は、時間性を持たなくては――。  彫刻って、手でいちばん苦労するんです。手の動き方一つで、きざになったり、甘ったれたものになってしまったり。手の位置にも苦労しますね。 たとえばリンゴを描きたいというときは、その作家の全内容が投影して、書きたくなるわけです。描きたいなって思ったときに、作者のあらゆる哲学的なものや、思想的なものが投影できれば、絵のリンゴのほうが実際のリンゴよりよく見えてくる――。 でも、シベリアに抑留されていた三年間、男ばかりで過ごしていると、本当に、すべてのことを見せ合ってしまう。その時、我々日本人っていうのは、教養と肉体がバラバラになっていると思いました。 僕は日本にいるときから、ヤギなんかずいぶん描いていて、シベリアにいたときは描く紙がないから、心に絵を描くみたいにしてヤギを見ていたんです。 いや、目の前にして言うのはなんですが、何度見ても飽きないものをつくるのは難しいことです。特に気品あるものを作るというのは――。(安野) 僕はいつも思うんですよ。隣人への憐れみがない芸術は嘘ですよ。<中略>気品のないもの、隣人へのいたわりのないものから本物の芸術は生まれてこない。芸術だけではないのですが。 (山根 いずれにせよ作品にまとめるとか、彫刻に生かそうということで、お二人はデッサンをなさるわけですよね) まあそうですが。彫刻に生かそうというか、何か栄養を蓄積するようなことなんですよ。<中略> 素描