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クレタ(20090417-19)アノーヤ

ずっと晴れ

 イラクリオの西南約30km(直線で。ずっと山道だから1時間強かかる)、クレタらしい暮らしを堅持しているという谷間の町アノーヤに4日いました。人口2500人とガイドブックにはありましたが、ちょうど復活祭の時期で里帰りにより人口は3倍くらいになっていたんじゃないでしょうか。

 静かで美しい町でした。谷間といっても、ギリシャの山は緩やかな稜線に低い木が散在するだけなので閉塞感はなく、その斜面のままに白い家や教会が寄り集まった形です。ホテルは上町の入り口にあり、少し下ると上町の教会、そのまま道なりに下り折り曲がって行くと、いつのまにか下町の教会に着いてしまう。

 ホテル「アリステア」がとても良かった。矍鑠たるマダム・"ボス"・アリステアが切り回す清潔で家庭的なホテルです(そういえば三ツ星だしていた)。広いテラスから朝陽の昇る山並みを一望できます。バスタブ・朝食付きのツインで45ユーロ(ハイシーズンでも50)。私達のほかにはギリシャ人カップルが1組泊まっていたのかな。
 この家にも里帰りの人達がたくさん。家族か近所の人かを聞くギリシャ語力は到底ないわけですが、食卓に並んだのは30人、たぶん4世代。私達も端に座らせてもらって、ギリシャ人の会話力に圧倒されてきました。私達はニコニコして全く判らないのを聞いているだけですけどね。あぁギリシャ語勉強しなきゃ。この人達は何をこんなに楽しそうに延々話しているのか知りたい。
 朝食付き、ですが、たぶん親戚が集まっていることもあって、何かと「お茶飲みます?」「私達食事するけど来ませんか?」と呼んでもらい、結局ほとんどの食事をいただいてしまいました。復活祭の羊、山羊のミルク粥(名前は"ピラーフィ"、、、レシピを探す参考にはならない)。ありがたいことでした。余所者には食事処を見つけ難い町なのでなおさら。

 そう、美しい町ですが居場所はない。カフェニオンなんて怖くて寄れません。本当に、革ジャンかジャケット、ジーンズ、皮ブーツの男性で占められているんですもの。ホテルでくつろぐか、通りを歩き続けるのみ。といっても挨拶すれば9割方返ってくる(残り1割は決然と黙殺)のがアテネとは違うところ。行動規範がまだ力を持っている。

 復活祭に向けての聖週間(というんでしたっけ)には、テレビで各地の大きな教会を実況中継していて、アテネやハニアなんかはかなりショウアップされているようでした。この町では、そんな派手な演出はありませんが、ほのぼのと楽しい空気が感じられる数日でした。大晦日とどんど焼きと花火がセットになったような。土曜日の昼過ぎ、(羊を焼く)焚き火が始まった頃から、私達への応対もにこやかさが増した気がします。

 そんなわけで、観光客を待ち構える町ではまったくありませんが、中には体当たりでコミュニケートしてくれる奇特な人もいて、そうなるとどんなに拙くてもギリシャ語しか通じないので、ギリシャ語学習者には楽しいですよ!

夕陽、夜景、朝陽、昼間。ほとんど山しか撮れなかった。







凹んでる車は珍しくないけど、これは少しひどいほう

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